我無限愛君1

 江戸城の北どなり、大名屋敷が建ち並ぶ一角に米沢藩上杉家の上屋敷があった。
 その屋敷はいまだ未完成でところどころ普請中であったが、徳川家康に年賀の挨拶をするため、藩主景勝の名代として江戸に来た兼続は、宿を取らずここに滞在している。
 慶長七年 十二月下旬。上杉家が米沢に減封移転してから一年半の月日が流れていた。
会津を所領していた頃に比べ、四分の一にまで収入が減った上杉家の経済は、この頃、破綻寸前にあった。そのため兼続は、自分の知行(給金)を六分の一にまで減らした上、『質素倹約』を合い言葉に藩の財政を立て直すべく、日々奮闘していた。今の上杉家では、身分の上下問わずどのような贅沢も許されない。紙、ろうそく、布といった生活必需品でさえもできる限り購入しないで済ませられるよう倹約する、といった具合であったから、大切な金銭を宿代に使ってしまうなど、兼続には到底考えられないことであった。
「普請中であっても、屋根と床さえあれば十分です」
 江戸に向かう前、景勝の居城へ出発の挨拶をしに伺候した兼続は、そう言って米沢を出た。旅の同行者は慶次と身の回りの世話をする下男の二人のみ。少しでも江戸滞在中の出費を抑えられるよう、あえて家臣は連れて行かないことにした。
 家康が天下を取り、少しずつ平和が戻りつつある今でも、生き残った西軍の残党に道中襲われる可能性があり、旅の危険は全くないとは言えない状況ではあったが、万一、襲われたとしても慶次と二人で戦えば十分勝てると思っていたし、何より慶次の存在自体が敵に対する抑止力になった。
 長谷堂城攻防戦での慶次の戦いぶりは、今や伝説のように語り草になっていて、武道に心得がある者なら慶次を見知らぬ者はいなかった。その慶次にわざわざ挑んでくる者が、そうそう現れるとも思えない。
 それで兼続は、慶次と下男のみを連れて江戸に赴く許しを景勝から取りつけたのだが、
(愛する慶次を米沢に残し、江戸に行きたくない)
 実のところ、節約うんぬんよりも、それが兼続の本音だった。
 景勝は、そんな兼続の本心などとっくに見抜いていて、苦笑しながら許した。兼続の心がそれで満たされるなら何人もの家臣を同行させるよりずっと良いし、日頃の兼続の働きぶりに酬いてやりたいという気持ちもある。それに兼続のことだから、せっかく江戸へいっても、わずかな夜遊びさえもしないつもりであろうと思っていた。寒い夜、まだ普請中のすきま風の入る屋敷で、質素な夕餉を済ませ、ひとり冷たい布団に横たわる兼続の姿を想像すると、あまりにも哀れだった。
 だが、慶次を同行させれば、少なくともひとりで冷たい布団に横たわらずに済むであろうし、そのほうが景勝にとっても安心であった。
(あの男が兼続の側にいてくれるなら、何も問題ないであろう)
 仲むつまじい二人の姿を思い浮かべながら、景勝は思った。兼続と慶次の仲は、今や、景勝公認も同然のものとなっていた。


 熱い湯船につかり身体を大きく伸ばした慶次は、あまりの気持ちよさに吐息をもらした。
(屋敷は普請中だと聞いていたが、浴室は問題ないようでありがたいねえ)
 米沢を発って五日目。途中、深雪に阻まれながらも、兼続・慶次一行はようやく江戸にたどり着いた。大晦日も間近にせまった十二月二十九日。雪の量が少ないぶん米沢よりましとはいえ、江戸も震えがくるほど寒かった。もともと寒さに強くない慶次は、身体の芯まで冷え切りあまりに酷い顔色をしていたので、兼続が至急、下男に湯の準備をさせたのだ。
 最初はとても熱いように思えた湯が、身体が温まってくるにしたがい、ちょうど良い温度に感じられるようになった。なんとも言えない良い気分にひたりながら、ここに来て本当に良かったと慶次は思っていた。
 米沢での貧しいながらも心静かな生活に、慶次は不満を持ったことはない。が、長年、京で暮らしていたせいか、ときおり賑やかな都会の雑踏が無性に恋しく感じることも、正直あった。真っ白な雪に閉ざされる米沢の冬に、いまだ慣れていないというのもある。だから兼続から江戸行きの話を聞いたとき、二つ返事で承諾した。今や天下人となった家康が、江戸に武家中心の政権を置くべく、江戸城増築の普請を始めてからというもの、全国から職を求める人々がやって来て、江戸城下はとても大きな町になりつつあると噂に聞いていたからだ。京ほどでないにしても、たいそう賑やかに違いない──そう思った慶次は、新しく興りつつある江戸の町をぜひ見物してみたくなった。
 それに加え、江戸にいる間は、家臣らの目のない場所で過ごせるというのも、たまらなく魅力的であった。
(しばらく兼続と二人きりの生活が送れる)
 それを考えるだけで、慶次の頬は自然に緩んでしまう。
 米沢では、三日に一度くらいの割合で兼続の屋敷に寝泊まりし、半ば同棲のような生活をしていたが、兼続の屋敷は昼夜問わず、つねに何人もの家臣が在中していて、まるっきり二人きりになるというわけにはいかない。そうなると、同衾するのもなんとなく気恥ずかしくて、したいという欲望はあるのに、兼続からの誘いを断ることがしばしばあった。
「覗き見する家臣など、誰もいない」
 と兼続は言い張るが、たとえ見られなくとも、声は聞こえてしまう。
 同衾している最中、なるべく声を上げまいとしてはいるが、いつも抑えられるとは限らない。理性が吹き飛び、あられもなく取り乱してしまった翌朝は、顔から火が出るほど恥ずかしくて、当直した家臣達の顔をまともに見ることができなかった。
 しばらくの間、そういう気詰まりな気分を味あわなくとも済むと思うと、とても開放的な気持ちになった。それは兼続だって、同じはずだ・・・。
 そう思ったとき、ふいに脱衣場に人が入ってきた気配がした。
「・・・慶次、私だ。開けてもいいか?」
 兼続の声だった。
「ああ、かまわねえぜ」
 のんびりした調子で答えると、少し戸が開いて、兼続が顔をのぞかせた。
「なんだい?」
「私もともに入ったほうが、薪の節約になるのではないかと思ってな」
 わずかに顔を赤くしながら、生真面目に言ってきた兼続を見て、慶次は笑ってしまった。すでに何度も身体を重ね合っている仲なのだから、今更、そのようなもったいぶった理由などつけなくてもかまわないのに、変なところで遠慮している兼続がとても可笑しかった。
 その笑顔を承諾の意と受け取った兼続は、手早く衣類を脱ぎ捨て、浴室に入った。湯につかっている慶次の裸身姿を、まるで初めて見るかのような顔で食い入るように見つめながら、浴槽の側まできた。
「そんなに見つめられちゃあ、俺の身体に穴でも開くんじゃないかねえ」
 慶次が苦笑まじりに言うと、兼続は表情を硬くして、無言で湯に足を差し入れてきた。ひどく欲情しているとき、兼続はきまって寡黙になることを慶次は思いだした。
「そんなに急いで入って、熱くないのかい?」
 言いながら、慶次は兼続のために場所を空けた。兼続はそこに身体を沈ませると、すぐさま慶次の背に腕をまわし、抱きついてきた。まだ温まっていない兼続の肌は、ひやりと冷たかった。
「まさかここでやるつもりなのかい?」
 少しギョッとしながら、慶次は訊ねた。
「もう七日もお前を抱いていないのだ」
 兼続は有無を言わせぬ口調で言って、身体を密着させながら接吻を求めた。すでに勃起し始めていた兼続の股間が、慶次の太腿にあたっている。
 こうなってしまうと何を言っても無駄で、もう拒みようがなくなるのだ。
「ここでやってもいいが、まだ中を洗っていないぜ」
 何度か接吻を交わす合間に、慶次は訴えたが、その言葉さえ兼続の耳には届いていないようで、慶次の尻の下に手を差し入れ、指でまさぐってきた。身体が十分に温まっていたおかげで、指が進入してきても、久しぶりに受け入れるにしては、痛く感じなかった。
 一本目はすんなり入り、二本、三本と増やされるにしたがい、慶次の身体の奥で燻っていた情欲の炎が燃え上がり、どうにもこうにも物足りなくなった。指では届かない、もっと深い奥底を満たして欲しいという欲望がせり上がってきて、兼続のものに手を延ばし、自ら自分の中に入れずにはいられない気持ちになる。
 じっさい今までに何度か、兼続にじらされ、我慢できずに兼続の上に乗りかかり、自ら中に入れたこともあった。だが、この日は兼続にじらす余裕はなく、慶次も欲望を感じていると察するや否や、差し入れていた指を抜き、硬く屹立したもので慶次を貫いた。
「兼続・・・っ」
 欲しくてたまらなかった場所が満たされた歓喜で、慶次はうめき声を上げた。その後は、まるで荒れ狂う波に飲み込まれるように、兼続に与えられる快楽に溺れ、ところどころ意識が飛ぶほどに愛された。兼続は、まるで禁欲的な聖人君子であるかのような顔をしてはいるが、驚くほど性愛に対する欲望に正直で、しかも慶次とは相性がぴたりとあった。同衾を心から楽しむには、相手の性技が上手いかどうかより、むしろ相性の方が重要であるということを、慶次は今までの経験で身をもって知っている。
 自分がこれほど兼続に惚れてしまっている理由のひとつに、褥での相性というのが多分にかかわっていることを自覚していた。それだけがすべてというわけではないが、良好な恋愛関係を続かせる条件として外すことができない、とても重要なことだ。
 兼続との行為で身も心も満たされた慶次は、浴槽の縁に腕をかけ、身体を起こした。額から玉のような汗が流れ、頬には金色の髪がへばりついていた。
「お前は、なんて美しいのだ」
 行為が終わったばかりの慶次を惚れ惚れと見つめて、兼続は感嘆の声を上げた。
 全身、桃色に染まった肌がなんともなまめかしく、男心をかき立てずにはいられない。今までに何度も、行為の余燼を残した慶次の姿は見ているはずなのに、何度見ても見飽きることはなかった。見るたびに、どきりとさせられる。
「もう一度、身体を洗ってから、俺は先に出ているぜ」
 慶次は恥ずかしそうに兼続を見て言った。
 浴槽から出た慶次が身体を洗う間も、兼続は慶次から目を離せずにいた。胸筋から腹部にかけての美しい曲線、白い桃のように魅惑的な臀部、すんなりと伸びた形の良い脚──どれをとっても完璧で、この美しい男が自分のものであることを、神仏に感謝せずにはいられなかった。
 やがて身体を洗い終わった慶次が、浴室から出て行き視界から消えたあとも、瞼うらに残った慶次の裸身姿を思い出しては、しばらく兼続は悦に入っていた。久しぶりの慶次との行為のおかげで、心中に渦巻いていたもやもやとしたものが消え去り、今は最高に充実した気分である。


 正直、兼続は江戸に向かう道中、始終、複雑な心境にあった。
 西軍が敗北した後、上杉家が生き残るには、家康に屈服するしか道はないと判断し、今は徳川家の幕下にいる上杉ではあったが、いまだ兼続は家康を好きになれずにいる。慶次はそれほど家康のことを嫌ってはいないようで、家康を毛嫌いする兼続をときおり不思議そうに見ていたが、性分なのか今後も家康嫌いはなおりそうになかった。
 その家康に年賀の挨拶──しかも、その年始挨拶のための登城が終わった後は、二月に征夷大将軍に任命される予定となっている家康のために、また祝いの挨拶に出向かなければならない。それを思うと気が重くてしかたなかった。
 一応、家康から領地を安堵されたとはいえ、これで上杉家が安泰というわけではない。些細なことで難癖をつけて、領地を奪おうと画策してくるかもしれない。そうなったら、当然、家康と一戦を交える覚悟であるが、三十万石の上杉家が徳川家に勝てるはずがなく、今度こそ上杉家は領地を没収、景勝は切腹か島流しにされることは明白であった。このような最悪の事態を引き起こさせないためにも、家康への挨拶は軽視できない重要なことであった。たとえ屈辱的であっても、自分の礼ひとつで上杉家が救われるなら、やるしかない。
 そう覚悟してここに来たはずであったが、実際は吹っ切れていなかったのだ。
 兼続の苛立ちにも似た葛藤を静めたのは、慶次であった。慶次の身体を抱きしめ、肌の匂いを嗅ぐだけで不思議と心が落ち着くのだ。
 この最愛の男に、今までどれほど私は救われてきたのか・・・それを思うと、慶次への愛おしさがいっそう増した。慶次と知り合う前まで、兼続は、つねに誰かを救う側にいて、自分が誰かに救われていると実感したことがなかった。しかし、それは間違いだったと、今は思っている。
 浴室から出て、兼続が居間に入ると、すでに夕餉が整っていた。江戸に着いた初日ということもあって、たいしたものは用意できず、干した魚を火で炙ったものと、少しの野菜、湯で戻した糒──それで全部であったが、空き腹だった兼続にはとてもおいしく感じた。
 慶次もにこにことしながら、ほおばった。
 膳をかたづけたあとは、火鉢を囲んで、慶次と古典文学について語り合い、米沢に帰ったら、一緒に『伊勢物語』の解説本を作ろうと約束し合った。傍らで遅れて夕餉をとっていた下男は、二人の楽しげな様子を見ては、笑顔を浮かべている。
 こうして、江戸一日目の夜は、おだやかに過ぎていった。