我無限愛君2
翌朝、兼続が目を覚ましたとき、すでに慶次は起床していた。まだ起きて間もないのであろう。じんわりと温もりが残っている。布団をたたんだ後、慶次の姿を探して屋敷内の部屋をひとつひとつ巡ってゆくと、間もなく、一番南側の部屋にいた慶次を見つけた。慶次は、米沢から持ってきた葛籠を開け、中から衣類品を取り出しては畳の上に広げるという作業をしていた。
「こんな朝早くから荷物の整理か?」
兼続は背後から声をかけた。振り返った慶次は、呆れたように兼続を見た。少し怒っているようにも見える。
「兼続、江戸城に登城するとき身につける裃、忘れてきただろう?」
「そんなはずはない」
兼続は畳に広げられている衣装を眺めて、登城のために用意しておいた裃を探した。
「あった、あった。ちゃんとあるぞ。一番奥にある薄水色の・・・あれだ」
そう兼続が教えると、慶次はしばらく無言でその裃と袴を見つめ、やがて呆れたように言った。
「まさか、あれを着るのかい?」
「いけないか?」
「いけないもなにも・・・」
慶次は何とも言いようがないというように頭をふった。
「全然、なっちゃいない」
何がどうなっちゃいないのか、兼続には解らなかった。礼儀をはずしていない型だし、色だって無難といえば無難、そこまで否定されるほどのものではないと思うのだが・・・。
「なぜ、あれでは駄目なのだ?」
「色がよくない。型が古めかしすぎる。素材も良くない。あれじゃあ、俺は田舎武士だ、と宣言しているようなものだぜ」
「じっさい私は田舎武士だぞ」
事実そうなのだから、それで構わないではないか、という思いで兼続は慶次を見た。慶次は相変わらず不服そうな顔をしている。
「兼続は田舎武士なんかじゃないさ。田舎武士かどうかってのは、生まれた土地で決まるものじゃねえ。そいつが持っている精神的なもので決まるものだ。・・・とにかく、あれを着て家康公のところへ年始の挨拶に行くのは止めた方がいい。江戸城には全国各地から大名やその名代が集まってくるんだぜ?
兼続は上杉家を代表して参列するんだ。もう少し都風のもののほうがいいな」
とにかく駄目だ、の一点張りなので、兼続はしぶしぶ衣装を新調することに同意した。本当はこんなことに金銭を使いたくないのだが、慶次は、裃を新調することは上杉の威厳を示すために必要不可欠のものだと言う。
「俺は呉服屋を連れてくるから、兼続は朝飯でも食って、屋敷で待っていてくれ」
懐具合を心配している兼続をよそに、慶次はそう言い置いて、さっさと出て行ってしまった。
それから一刻半後、慶次は呉服屋を連れて屋敷に戻ってきた。京で流行っているものを中心に扱っているというその呉服屋は、何色もの反物と見本のために何点かの裃を持参していた。そしてそれらを見せては、兼続にではなく、慶次に説明し始めた。兼続では説明しても分からない、と思ったのであろう。
じじつ流行の衣装や色といったことに疎い兼続は、慶次と呉服屋の会話を聞いていても、何がどう流行のものとそうでないものとで違うのか、よく分からなかった。それほど違いがあるとは思えないのだが・・・。
兼続がそのようなことを考えている間にも、慶次はいくつもの反物を兼続に当てて、似合うか似合わないかを判断し、さっさと色と型を決めてしまった。結局、兼続にできたのは、呉服屋の言うままに色々な体勢を取り、身体の寸法を計られることだけだった。
「ご注文のものは、こちらで合ってますね」
寸法を計り終わり、紙に書き込んだ呉服屋は、慶次に注文書を見せて確認した。
「ああ、これでいい。・・・それじゃあ、よろしく頼んだぜ。明後日までに仕上げて欲しいんだが、大丈夫かい?」
「はい、ご心配なさらずとも大丈夫でございます。至急、腕のええ職人たちに仕立てさせて、明日の夜にはお持ちします。ご注文、まいどおおきに」
呉服屋はにこにこ顔で慶次に一礼すると、間もなく上機嫌で帰っていった。
その呉服屋の様子で、どうやら慶次は最上級の部類のものを注文したらしいということが分かった。
「私はもっと質素なもの注文しようと思っていたのだが。これでは景勝様に申し訳が立たない」
今、呉服屋を追いかければ注文を取り消せるのではないかと思い、兼続は急いで履物を履いて追いかけようとした。だが、慶次に肩を掴まれ引き止められた。
「金のことなら心配するな。あの呉服屋から代金は請求されない」
「どういうことだ?」
兼続は訊ねたが、慶次は困ったような顔をするばかりで、なかなか理由を言おうとしなかった。
「まさか・・・お前が代金を払ったのか?」
「誰が払ったかなんて、気にすることねえさ。誰が払ったっていいじゃねえか」
「そういうわけにはいかない」
慶次はしばらく答えをはぐらかしていたが、追求を止めようとしない兼続に根負けして、ついに言った。
「請求先は前田家にしておいた」
「なに?!」
兼続はギョッと目を剥いた。慶次はまあまあと言って、怒り出しそうな兼続をなだめた。
「父上は、俺に幾ばくか遺産を残してくれたんだが、その金は今も前田家に預けっぱなしになっているのさ。ほとんど使うこともねえし、手元に置いておくには多すぎる金額だからねえ」
「つまり、裃代はそこから支払われるということか?」
「まあな」
慶次はバツの悪い顔をした。本当は言いたくなかったいう気持ちが、顔に現れている。
「あれは私が使用するために購うものだ。慶次に支払ってもらうわけにはいかない」
上杉家の再建のために、自分の知行を大幅に減らしたことは後悔していない。だがそのことで慶次にまで負担が及ぶのは、兼続が望まないことだ。
「兼続はきっとそう言うだろうと思ったから、俺は黙っていたかったんだよ」
慶次は顔を曇らせた。
「俺は、兼続に、他の大名や家老たちにひけを取らないような衣装を着せたかった。だから、俺は自分の意志で呉服屋に注文した。俺がしたいようにしただけなんだから、あんたが遠慮する必要なんてないさ」
「しかし、そのようなわけには・・・」
兼続は反論したが、すべて言い終わる前に、慶次は、もうつきあっちゃいられないと言いたげな顔で頭をふり、外へ出て行ってしまった。少し間を置いて兼続が後を追うと、慶次は鉄瓶に井戸水を注いでいる最中であった。
気配に気づいて、慶次が振り返った。
「兼続も、茶、飲むかい?」
「ああ。慶次が点ててくれるなら頂こう。お前の茶はうまいからな」
それを聞いた慶次は、ふふっと笑った。
「何が可笑しいのだ?」
「茶なら、今のように素直に所望するのに、裃となるとなんで頑なに遠慮するのかと思ってねえ。兼続が喜んでくれるなら、茶を点てるのも、裃を贈るのも、俺にとっちゃ同じことなんだがね」
そう言ってにこっと笑った慶次を見て、兼続の胸に慶次への愛おしさが沸き上がった。
(お前は私を本当に想ってくれているのだな・・・)
とても温かい気持ちになり、兼続は、ぎゅっと慶次を抱きしめた。
「裃、受け取ってくれる気になったのかい?」
慶次は兼続の手の上に自分の手を重ね、軽くぽんぽんとたたいた。
「ああ、慶次。お前の好意を本当にありがたく思っている。大切に使わせてもらおう」
「そうしてくれるなら、俺も嬉しい。早く、あれを身につけた兼続が見てみたいねえ」
翌日の大晦日、あと数時間で年が明ける夜遅く、呉服屋が仕立て終わった裃を持って、屋敷にやってきた。待ちかねていた慶次は、すぐに彼を客間に招き入れた。
さっそく衣装箱を開けて中から袴を取り出した慶次は、縫い目を点検した。
「ずいぶん急がせちまったのに、丁寧に仕上げてくれたねえ!」
思った以上のできばえに満足し、慶次は呉服屋を褒めた。
「お褒め頂き恐縮どす。この江戸に赴任なさっている前田家中の方々には、いつもご贔屓にしてもろうております。大切なお客様に対して、雑な仕事など決してできしません」
呉服屋は手をついて頭を下げた。
「ところで肩衣のうら地どすが、前田様より色のご指定がおまへなんだので、あたしどもで決めさせてもらいました。前田様がご希望したおもて地は、黒に近い墨色。・・・昨今、このようにおもて地を落ち着いたお色にした場合、うら地をやや派手めなものにするというのが流行っております。よって、うら裏地はこのように濃い葡萄色にして見たさかいすが・・・」
「おお、こりゃあ粋だねえ」
行灯に肩衣を近づけてうら地の色を確認した慶次は、にこにこと笑った。
「隠れた場所を華やかにして、さりげなく洒落るってのがいい」
「お気に召して頂いたようで、安堵しました」
慶次の言葉を聞いて、呉服屋はほっと息を吐いた。
「さっそく兼続に試着させてみようじゃねえか」
慶次は書斎で書き物をしている兼続を呼びに言った。慶次を伴い客間に入った兼続は、衣紋掛けに掛けられている肩衣と袴を見て、目をまるくした。上質な絹でできたそれはやや光沢を帯び、まるで漆を塗った黒器のような風合いに見えた。
「これは、なんと見事な」
「気に入ってくれたかい?」
兼続の反応に、慶次はにこにこと笑った。
「もちろんだとも!
こんな見事な裃、私にはもったいないくらいだ」
「何言ってるんだい。もったいないなんてこと、ありゃしないさ」
慶次は、急かすようにして兼続の衣を脱がし、白い小紋模様の入った小袖を着せたあと、呉服屋に手伝ってもらいながら、肩衣と袴を着付けた。
慶次は何歩か後ろに下がり、裃を着た兼続を眺めた。
「おお、おお。こりゃ、男ぶりが上がったねえ!」
何度も頷きながら、慶次は感嘆した。
「直江様は肌の色が白うございますから、こないに黒みの強い裃をお召しになっても、はんなりに見えます」
呉服屋も兼続を惚れ惚れと見つめ、誉め上げた。
「そうだろうか?」
呉服屋の言葉は客へのよいしょと受け取った兼続も、決して世辞を言わない慶次の褒め言葉はとても嬉しく思った。男ぶりが上がった、という言葉にポーッとなっている。
しばらくして、呉服屋が帰っていったあとも、兼続はもう一度慶次から褒めてもらいたくて、裃を着たまま部屋の中をうろうろしていた。その兼続の分かりやすい行動に、慶次は笑ってしまった。
「惚れ直した・・・とでも言って欲しいのかい?」
「それが慶次の本心なら」
「ああ、本心だとも。俺が世辞など言えないことは、兼続がよく知っているだろう?」
兼続の顔に、何ともえぬほどの笑みが浮かんだ。
「私もお前に惚れている。これ以上、愛することは不可能というほどに」
兼続は慶次を見つめて、抱きしめた。
「ありがとう。お前からの贈り物、本当に有り難く思っている」
「礼を言ってくれるのは嬉しいが、俺から離れないと肩衣がしわになっちまうぜ」
慶次は照れくさそうに言った。
「ああ、そうだな」
兼続はしまった、という顔をして慌てて後ずさった。
「それじゃ、俺は先に居間に行って熱燗の準備をしておくから、兼続は着替えてきてくれ。もう間もなく、除夜の鐘がなるころだぜ。酒でも飲みながら、年を越そうじゃねえか」
「分かった。早めにそちらに行く」
そう言って兼続は肩衣に手をかけた。が、すぐに、重要なことを言い忘れていたのを思いだし、慶次を呼び止めた。
「慶次。悪いが、もしお前が夜明け前に初詣に行こうと思っているのだとしたら、それは諦めてくれ」
「どうしてだい?」
「朝まで、布団の中でお前を抱いて過ごしたいからだ。初詣は明日の午後にでも行けばいいではないか。・・・それとも、それでは嫌か?」
慶次の顔がみるみる赤くなった。暗がりにいてさえ、耳まで紅潮しているのが分かる。
「そんなの、わざわざ訊かなくても分かるだろう?」
慶次は恥ずかしげに視線をそらすと、少し怒ったように言って、出て行ってしまった。
兼続は、その慶次の可愛らしい反応に吹き出し、慶次が部屋からいなくなったあとも、しばらくひとりで笑っていた。