秘め事1

 春日山城から城下へと続く坂道を、左近は歩いていた。
 その左近はというとやる気なさそうな足取りで、ときおり大あくびをしては目尻から涙を滲ませている。
「あーあ、ほんと嫌になっちまうな」
 左近は独り言をいって、道ばたに落ちていた石を蹴り上げた。
 左近は、三成とともに三日前に春日山城にやってきた。三成が突然、兼続に会いたいと言いだしたためである。
 正直、左近は春日山に来るのが嫌であった。
 なぜなら、兼続と仲の良い三成は、兼続に会うなりすぐに二人だけで話に没頭し始め、のけ者にするからである。それだけでも十分嫌なのに、さらにもうひとつ左近を不愉快にする理由があった。
 兼続も知らぬことなのだが、主である三成とは恋仲であった。命がけで三成に告白し、半年以上も懇願し続け、つい最近、同衾を許してもらえるようになったばかりである。それなのに兼続の屋敷に滞在している間は、どうしたって同衾を我慢しなければならない。痛がる三成を優しくなだめ、やっと中に挿入できるところまで開発したのに、同衾できない期間が長くなれば今までの努力が無駄になってしまう。それがたまらなく不満あった。
 だがそんな左近の心情が分からない三成は、ぽかぽかと日の当たる縁側でくつろいでいると、こう言ってきた。
「今すぐ慶次のところへいって、慶次が兼続のことをどう思っているか、聞き出して来い。もし慶次が兼続に恋愛感情を持っていない場合は、好きな相手がいるかどうかも聞き出して欲しい」
「はぁ、 何ですって?」
 あまりに馬鹿馬鹿しいことを言われ、左近は呆れた顔で聞き返した。
「兼続は慶次に恋をして苦しんでいる。手助けをしてやりたいと思ってな」
 平然と言った三成を見て、左近は腹が立った。
(あなたの恋人である俺が、同衾できずにむしゃくしゃしているときに、友人の恋の仲立ちですか! 俺より親友の方が大事ってわけですか?!)
 そう思った左近は、つっけんどんに言い放った。
「兼続殿だって子供じゃあるまいし、そんなことは本人に任せておけばいいんです」
 それを聞いた三成は左近を不満そうに見て、
「兼続は俺の親友だ。お前とっても友であろう。友のために一肌脱いでやろうという気にはならないのか」
 左近にとって面白くないことを言ってきた。
(兼続が俺の友だと殿は決めつけていますが、俺はあの男を友だと思ったことはありませんよ )
 左近は、叫びたくてたまらなくなる。
 そもそも左近が恋の仲立ちなんてやりたくないのは、兼続が気に入らないというだけでなく、その相手が慶次だということも大きかった。
 慶次とは、戦場や春日山城で顔を合わせた事がある程度で、個人的によく話したことがあるわけではない。しかしそれでも、慶次が他人の意志ではどうこうできない人物であることは左近にだって分かる。自分や三成がいくら手助けしたとしても、もし慶次が兼続に恋愛感情を持っていないとしたら、そのときは何をしても無駄だと思っていた。
「殿、こう申し上げるのはなんですが、大体、大の男が他人の恋愛に首を突っ込むなんて格好悪くてできませんよ」
 いつもは三成に甘い左近であったが、今回の頼みは断固拒否する姿勢を示した。
 しかし結局は、三成に抗いきれなかった。
「俺の頼みが聞けないのか」
 と言って、三成がキッと睨みあげてきたからだ。
 他人から見たら小憎らしく見えるであろう三成が睨んだ顔も、左近にとっては可愛らしく見え、その顔で睨まれると否とは言えなくなってしまう。
 自分でも馬鹿だと思うのだが、反射的に、
「分かりました」
 と言ってしまうのだ。そして今回も例外ではなかった。
「分かりました。やればいいんでしょ、やれば」
 三成の顔に釘付けになったまま左近が答えると、三成は満足そうな顔で頷き、
「では、左近。頼りにしている」
 とだけ言い置いて、そのまま兼続のところに戻ってしまった。肝心の兼続はというと、部屋から不安そうに三成と左近のやりとりを見ていたが、戻ってきた三成に無理矢理引きずられ、屋敷の奥へ消えてしまった。おそらく三成に、
「すべて左近にまかせれば大丈夫だ」
 とでも言いくるめられたのであろう。
 こうして左近は、やりたくもない慶次の恋愛調査をひとりでしなければならなくなった。それが兼続のための調査だと思うと、よけいに腹が立つ。
(そもそも兼続さえいなければ、俺ははるばる越後まで来る必要もなく、毎晩、殿との同衾を楽しんでいたはずだ!)
 と、悪態をつかずにはいられなくなる。
 ようするに三成を取られたような気持ちになっていた左近は、兼続に嫉妬していたのである。


「あった、あったここだ」
 城下についた左近は、一度、半年前に来ただけの慶次の庵を記憶を頼りに探し、ようやく見つけた。
 その庵はもともと直江家の所有物で、慶次は兼続に家賃を払って住んでいる。
 本当は、慶次から家賃など支払ってもらいたくないのだが、
「いくら友だとはいえ、こういうことがきっちりしないといけねえ」
 と言われ、無償で貸す話を突っぱねられた、と前回、春日山に来たときに兼続が言っていたことを左近は思い出した。
 そのときの兼続の残念そうな表情を思い浮かべながら、
(あの頃からすでに、兼続は慶次のことが好きだったのだな)
 と思った。
 慶次の庵の前に来た左近は、扉の入口の前に立ち、いっそうのこと慶次が留守であって欲しいと思いながら、扉を叩いた。
 しかし左近の期待を裏切り、微かな足音が近づいてくるのが聞こえて、間もなく目の前の扉がスッと開いた。
「こりゃあ、また、めずらしい御仁が訪ねて来たねえ!」
 慶次は左近を見ると、目を丸くして驚いたように言った。
「脅かしてしまったようで、すみませんね」
 左近はそう答えながら、目の前に立った慶次を感嘆した心持ちで見上げた。
 久しぶりに見る慶次は、驚くほど堂々として見えた。これほど大柄であっただろうか、とも思った。しかし慶次から嫌な威圧感が感じられないのは、明朗な人柄によるところが大きいのだろう。
 目を丸くしていた慶次は、間もなくニコニコと笑い、左近を中に招き入れた。
「もてなしできるようなものが何もなくてねえ。茶も切らせちまっているんだよ」
 居間に案内された左近が卓袱台の前にすわっていると、台所で何か用意をしているらしい慶次が声を上げた。
「いえ、ほんとお構いなく。喉が渇いているので水か白湯でももらえたら十分だ」
 もともと慶次にもてなしをしてもらおうとは思ってもいない左近は、そう答えた。
「いいのかい? 本当にこんなもので。酒ならあるんだが、まだ飲むにはちょっとばかり時間が早いしねえ」
 しばらく後、湯飲みと乾豆を入れた皿を持った慶次が居間に入ってきて、左近の前にそれらを置いた。
「突然押しかけてきたのは、俺の方です。ご迷惑かけてしまって」
 慶次もまた卓袱台の前に座るのを待ってから、左近は謝った。
「いいや、俺は全然迷惑じゃねえよ。むしろ暇つぶしの相手ができてちょうど良いくらいさ」
 慶次は言って、にこにこと笑う。
 その人なつこい笑顔を見ていると、くだらない目的で慶次の庵を訪れた自分に嫌気がさして、左近は肩身が狭く感じた。
(さて例の話、どうやって慶次殿に切り出すべきか・・・)
 いつも思い切りの良い左近にはめずらしく、悩みながら慶次の持ってきてくれた白湯を飲んでいると、
「ところで左近殿、俺に用でもあったんじゃないのかい?」
 慶次に唐突に言われ、左近は思わず白湯を吹きそうになった。
「いや、特に用ってほどのことはないんですけどね」
 懐から手拭きを出し、唇についていた白湯を拭いながら答えた。
「越後に来たのはいいが、殿は兼続とばかり話をしていて退屈な時間を過ごしているところで、慶次殿のことを思い出したんです。慶次殿なら俺の相手をしてくれるかと思いまして」
 咄嗟に思いついた言い訳であったが、我ながら良い理由だと左近は思った。
 慶次の宅について早々、いきなり、
「殿によるとどうやら兼続は慶次殿に恋愛感情を持っていて、できたら同衾したいとも思っているようですが、慶次殿は兼続のことをどう思っていますかね」
 などと聞けるわけがない。それを言ってもし兼続が慶次に拒否されても、左近としては痛くも痒くもないのだが、三成からわざと兼続の恋をぶち壊した、と思われるのだけは嫌であった。引き受けたからにはそう思われない程度に、取り組むつもりである。
「そうだったのかい」
 慶次は、左近の気持ちが分かるというように頷いた。
「確かに、兼続と三成は仲がいいからねえ。俺もあの二人の間には、入れないなぁと時々思うよ」
 それを聞いて、左近は少し驚いた。左近からしたら、慶次と兼続は無二の親友に見えるのに、当の慶次は、兼続と三成の間で疎外感のようなものを感じていることが意外だった。
(こりゃあおそらく、慶次殿は兼続に恋愛感情を持たれているとは気づいちゃいないな)
 左近は思った。もし気づいていたら、慶次はこんなことを言い出さないだろう。
「・・・とにかく、俺としては左近殿が来てくれて良かったと思っているぜ」
 慶次は言葉を継いで、嬉しそうに笑った。
「そう言ってもらえると、世辞でも嬉しいもんですね」
 左近も笑顔につられ、笑い返した。
「俺は今日、一日中暇なんでね、慶次殿さえ良かったらぜひ俺の相手をしてください」
 暇というのは本当であったし、慶次の兼続への感情をさらに探るために、もっと慶次とうち解けたほうが良いと思った左近は、半ば本気で頼み込んだ。
「そうか、左近殿は一日時間があるのか」
 呟いた慶次は、一瞬の間をおいて、良い案が浮かんだというような顔で、左近を見た。
「それならこれから外へ出て、雉を捕りにいかねえか?」
「キジって・・・あの鳥のキジですか?」
「ああ、そうだ。あの雉さ」
「どうしてまた、雉なんかを?」
 突然の提案に驚いた左近は、聞き返した。
「実は今月末に、幸村がここに来ることになっているんだが、俺の庵に何泊か泊まりたいと文で知らせて来てねえ。はるばる遠くから来てくれるんだし、何かもてなしがしたいと思ってな。・・・それで、よく小さい頃に母と作った雉鍋はどうだろうと思ったのさ」
「ははぁ、それで雉を!」
「ああ。・・・だが、もう何年も雉鍋なんて作ってないから、正直、上手く作れるか自信がなくてね。幸村が来る前に一度作ってみて、左近殿に味見してもらいたいのさ」
「つまり、俺は毒味役・・・ってところですか? あ、毒味ってのは冗談ですよ」
 左近は笑い声を上げた。
 それほど仲が良いというわけではない相手に、久しぶりに作る料理の味見をさせようとする慶次の行為は無礼とも言えるものであるが、慶次の人柄のゆえか不思議と不快に思わなかった。むしろこうして気安く接してくれる慶次に好感を持ったほどだ。
「もちろん、冗談だって分かっているさ」
 慶次もまた、声を立てて笑った。そしてひとしきり笑ったあと、
「雉狩り、一緒に行ってくれるかい?」
 と再び、左近に訊ねてきた。
 もちろん左近に断る理由はなかった。不満たらたらでここに来たことも忘れ、すっかり愉快な気分になっている。
「喜んで、お付き合いしましょ」
 左近は弾んだ声で言って腰を上げた。