夕昏の客4

 何度、快美の波にゆられのみこまれたのか、慶次には分からなかった。
 気づくと、激しい交媾で全身汗みずくになった小太郎の身体にひしと取りすがっていた。小太郎の肉杭をくわえ込んだ肛門がひくひくと蠢いているのが分かる。小太郎はよほど気持ち良いのであろう。目を閉じて、喉の奥から長く低い呻き声をあげた。
 なんという激しい性交であったか。
 今までにも、体中がだるく、腰をあげることができぬほどの疲労を感じた交媾をしたことはある。しかし相手の背中に回した腕を、自身でほどくこともできぬほど、疲労困憊した交媾は初めてであった。
 達した瞬間、収縮し、肉杭をくわえたまま戦慄いていた慶次の内部が徐々に弛緩してくると、小太郎は腰を退き、半勃ち状態のものをずるとり引き出した。いつまでも慶次の中に入っていたい・・・正直、小太郎は思ったが、汗でぬれた身体を力なく己に絡ませ、意識が朦朧としたような顔をしている慶次を見ると、このまま放っておけない気持ちになった。
 慶次を愛しく思いその身体を抱いた小太郎は、初めて心の中に人間らしい誰かを思いやる気持ちが芽生えたのだ。
 小太郎は慶次を抱きかかえ、風のような速さで湯殿まで移動した。
 湯殿には政宗の家臣達が数人いたが、慶次を抱えた小太郎の姿を見ると、
「うわぁああ!」
 と叫び、慌てふためいて出て行った。
 しかしあまり時間はない。不審な人物が城に入り込んだと彼らは思っているに違いなく、武器を持ってここに戻ってくるだろうと小太郎は思った。
 ぐったりと己に身を預けている慶次を抱えたまま、小太郎は湯の中に入った。
 先ほどの家臣らが置き忘れていった手拭いをつかみ、慶次の身体をやさしく擦り、肌についた汗や精液、肛門にこびりついた血を洗い流して行く。慶次は気持ちいいのだろう。安心しきったような顔で目を閉じ、吐息を吐いた。
 本当はもっとゆっくり湯につからせてやりたかったが、間もなく、家臣らがこちらにやって来る気配を感じ、小太郎はすばやく湯船から出て脱衣所で乾いた手拭いを手に取り、慶次を連れてまた風のように部屋へ舞い戻った。
 小太郎はそっと慶次を床に横たわらせた。その慶次の身体を拭っていると、慶次が身を案ずるように言った。
「あんたは早くここを出た方がいい」
 小太郎は無言で慶次を見つめた。
「湯殿であんたに抱えられた俺が目撃されてしまった以上、彼らはここにもやってくる。あんたがかつて北条に仕えていた風魔一族の者だと知られてしまったら、伊達家の者達が風魔一族を一掃しようと馬鹿な考えを起こすかもしれねえからな」
「慶次、案じることはない。そうなったら我らは戦うだけ。簡単にやられるような風魔ではない」
 小太郎は憮然と言った。その顔を見て、慶次は笑った。
「あんたらが手強い相手だということは、俺だってよーく分かっているさ。だが俺は小太郎の一族とは戦いたくねえんだ」
 慶次はじっと小太郎を見つめた。
「伊達に仕えて欲しいとは言わない。・・・が、せめて敵対しあうような関係であって欲しくないと思っている」
 慶次の瞳が懇願するように揺れたのを見て、小太郎はフッと息を吐いた。
 主従の間柄にあるわけではない人間の言うことを聞くなど、自分らしくない・・・と思いながらも、慶次には抗えないのだ。
(我はこの男に、身も心も囚われてしまったようだ)
 小太郎はそれを痛いほど自覚し、自嘲の笑みを浮かべた。
「うぬが望むなら、伊達の者らに見つからぬよう我らは箱根の山中に身を潜めるとこにしよう。・・・が、うぬにはまた会いに来る」
「ああ、そうしてくれるなら嬉しいねえ! だが、もうあんたとは同衾はできない。俺には孫市がいる。あいつを裏切ることはできない」
「我はここからうぬを奪い去るつもりはない。我はうぬを愛おしく思っている。だから心のままに媾うだけだ」
 小太郎は、慶次と性交することがなぜ孫市を裏切ることになるのか、理解できなかった。そもそも誰であっても、慶次を束縛する資格はないと思っている。自分もまた、誰にも束縛され得ぬように。
 だが小太郎は、慶次の困ったような悲しんでいるような顔を見ているうちに、慶次の望むとおりにしようと思い始めた。もともと慶次に会えればそれでいいと思い、ここに来たのだ。その望みは叶えられ、思いもかけず、同衾までできた。小太郎は満足であった。
 小太郎はじっと慶次を見つめ、頷いた。そして愛おしむような手つきで慶次の頬に触れると、音も立てずに姿を消した。


 小太郎が姿を消して間もなく、慶次が予想していたとおり城に残っていた家臣達が慌てたような様子で慶次の部屋の前までやってきた。うちひとりが閉ざされた襖の前で声をかけた。
「前田様、さきほど湯殿で貴方様と不審な男がともにいるのを見かけた、という報告があったのですがそれは確かなことでしょうか」
 疲れ切っている慶次は襖を開けることさえ面倒で、床に寝ころんだまま、彼らに聞こえるよう大声で言った。
「ああ、それは確かだ。・・・が、ともにいた男は俺の古い知り合いでねえ、不審な男なんかじゃないさ」
「そうでございましたか」
 家臣は少しの間を置いて答えた。少し疑っている様子であった。
「もうあの男は城から出て行った。心配する必要はねえ。もう夜も遅いしあんたらも湯にでもつかってゆっくりするといい」
 慶次はこれ以上、家臣が小太郎について詮索してこないよう少し強引に話を締めくくった。
 家臣達はしばらくじっと黙ったままどうすべきか悩んでいたが、さすがに慶次の許しもなく、部屋に押し入って確かめるわけにはいかないと思ったのか、
「分かりました。では前田様、お休みなさいませ」
 と言って、その場から去っていった。
 慶次はほっと息を吐いた。
 小太郎の肉杭で突かれ広げられた内部は、未だじんじんと痛みを感じたが、慶次は己の指で肛門を探りそこから血が出ていないのを確かめただけで何も治療などせぬまま、大の字になって目を閉じた。とにかく疲れていて何をする気にもなれなかったのだ。

 少し目を閉じて休むだけのつもりだったが、いつの間にか眠っていたのだろう。身体を揺すられている気がして、徐々に意識が覚醒してきた慶次は目を開けた。
 次の瞬間、背後から誰かに抱きつかれている感触に驚き、反射的に振り返った。
 そこには行灯の橙色の明かりに照らされた孫市の顔があった。慶次はほっと息を吐いた。
「なんだい、孫市か。脅かさないでくれよ」
「驚いたのはこっちだぜ、慶次。部屋に入ったとたん、お前、真っ裸のまま、床に転がって死んだように眠っていたんだぜ。布団もなにもかけてねえし、どうしちまったのかと思ったよ」
 そう言った孫市の声を聞きながら、慶次は小太郎が去った後、床に寝ころんだことを思い出した。しかしすぐに、するりと股間にすべりこんできた孫市の手に陰嚢を揉みしだくように愛撫されて、慶次は微かに声を上げた。
 瞬間、きゅっと自分の肛門が閉まったのが分かり、そこで初めて自分の内部に孫市の陰茎が挿入されていることに気づいた。
 肛門で締め付けられ、孫市は気持ちよかったのだろう。はぁと甘い吐息を漏らした。
(そうか・・・小太郎が俺に塗った、麻酔の草。あれがまだ効いているんだな)
 慶次は心の中で呟いた。いくら孫市の陰茎が小太郎のものより小さいとは言え、大きい部類に入る孫市の陰茎を入れられても気づかないなんて、いつもの自分なら考えられないことであった。
「慶次、すまない。・・・お前の了承も得ず、勝手に始めちまって」
 孫市は喘くように息を吐き、とぎれとぎれにささやいた。
「お前の身体ずいぶんと冷え切っていたから、最初は温めるつもりで抱いていたんだが、それだけでは我慢できなくなっちまった」
 掠れた声で言った孫市は、慶次の股間を優しく愛撫しながら首筋に接吻をした。
 孫市が、同衾しているというよりも、裸身で抱き合い素肌の温もりや感触を楽しんでいるかのようにゆっくり穏やかに抽挿しているのが、今の慶次にとっては救いであった。麻酔で内部が鈍感になっているとはいえ、未だ奥深くに鈍痛を感じている状態であったから、もしガンガン強く突かれていたら耐えきれず悲鳴を上げていたであろう。
 慶次の冷たい身体は、孫市の濃密な愛撫によって徐々に高ぶっていった。孫市が三度目の精を放ったときには、抱いている孫市が火傷するかのように火照てり、汗でじっとり濡れていた。
 射精した液で腹部と股間も濡れそぼっている。
 小太郎との交媾ですべて精を出し尽くした、と思っていた慶次であったが、孫市に愛撫されれば見る間に陰部を勃たせ、何度でも達してしまう自分が、我ながら可笑しかった。
(やっぱり俺は孫市に惚れているんだな)
 ふと思って、慶次は声を立てずに笑った。
 小太郎のことはとても好きだし、あの苦しみさえなければ同衾も嫌ではない。じっさい小太郎との同衾は苦しみだけでなく、これまでに感じたことのない激しい快楽を与えてくれた。
 だが、心まで満たされる同衾ができる相手といえば孫市で、今の慶次には、この男以上に安心して自分をさらけ出せる者はいなかった。
「さっきから何笑っているんだよ」
 言いながら孫市は、いったん慶次から陰茎を抜き、慶次を仰向けに寝かせ組み敷き、正常位で貫いてきた。孫市の精液で濡れていた内部はほとんど抵抗なくするりと入った。
 だが孫市は抽挿はせず、慶次を可愛くてしかたないような目で見て、慶次の腹部や胸、乳首を指と唇で執拗に愛撫してきた。
 その愛撫だけでまたもや慶次は達し、孫市もまた、慶次を愛撫するたびに蠢く内部に陰茎を擦られ、その刺激で4度目の射精をした。そして慶次の身体に折り重なるようにして身体を横たえると、満ち足りたような顔で目を閉じた。
 閉じられた形のよい瞼を縁取る睫毛は思いの外長く、男には不釣り合いなほどであった。孫市を女性的だと思ったことなど一度もない慶次であったが、孫市の瞼を見るたびに、女性でさえ嫉妬するような美しさだと思った。
 慶次が睫毛をじっと見ていると、ふいに孫市が眼を開き、突然、言ってきた。
「慶次、俺が留守にしている間、何があったんだ」
 慶次はハッとなった。小太郎とのことは、自ら望んだ結果として生じたことではなかったし、孫市には言わぬつもりでいた。そのほうが孫市にとっても良いと思ったのだ。
「慶次は何もなかったとしらを切るつもりでいたのだろうが、お前の背中や臀部には、昨晩にはなかった痣がいくつもあるし、お前の中に挿入し内部が不自然に腫れていることに気づかぬほど、俺は鈍感じゃないぜ」
 いつになく凄味のある声で言われて、慶次は身を起こした。慶次の上に乗り上げていた孫市は、そのとなりに座り、じっと慶次を見つめてきた。
(そうか、だから孫市は俺をいつものように抱かなかったんだな)
 なぜ孫市が、いつになく身体をいたわるような抱き方をしたのか慶次は理解した。
(それにしても・・・)  と慶次は思う。己が他の誰かに抱かれたことを知って、尚、冷静さを保っている孫市が意外であり、怒りわめきちらされるより恐ろしく、不気味に感じた。怒りを沸々と内に秘めているような、一見、無表情な顔も怖かった。
 小太郎との間にあったことを正直に話すまで、それほど時間はかからなかった。
 慶次から話を聞いている間、表情がなかった孫市の顔は徐々に怒りに満ち、身体まで震わせて激怒したが、最後には慶次をひしと抱きしめて、慶次の顔中に接吻をした。
「お前が心変わりをして、誰か他のやつを好きになったのではなくて良かった」
 そう言った孫市は、今にも泣きそうな顔をしていた。
「俺は不安でたまらなかった。もし慶次が他の男を好きになった・・・と言ってきたら、俺はお前を潔く手放すことができるだろうか、とこれでも悩んでいたんだぜ」
「何いっているんだい。俺には、お前以上に惚れている男なんていないぜ」
「慶次っ・・・」
 孫市は感極まったように言って、きつく慶次を抱きしめ、しばらくその存在を確かめるようにひしとしがみついたまま、身動きしなかった。
 だが安堵感が通りすぎると、今度は慶次を強姦まがいに抱いた小太郎が憎らしくてたまらなくなったのだろう。がばっと身を起こすと、突如、立ち上がり、脱ぎ捨てていた褌を身につけ始めた。
 慶次は驚き、咄嗟に起きあがると孫市の腕を掴んだ。
「どこに行くつもりだい?」
「決まっているだろ、政宗のところさ」
 孫市は憮然と言った。
「なぜ政宗んところへ? 何を考えている?」
「風魔討伐の作戦を立てる。風魔を放っておいたら、いつか伊達の脅威になるかもしれないしな」
「小太郎は俺たちの敵になることはない。俺たちが手出ししないかぎり、何も起こりはしないさ」
 慶次は必死に孫市を止めた。しかしそれで納得するような孫市ではない。
「お前の頼みでも聞くわけにはいかないな。第一、お前に危害を加えたじゃねえか。お前は悔しくないのか」
「俺は別に悔しくねえぜ。・・・なりゆきでそうなっちまっただけで、大げさに騒ぐほどのことじゃねえよ」
「慶次はそういうけどな、俺はこのままじゃ気が済まない」
 孫市は、なんで平気な顔でいられるんだ、といいだけな顔で慶次を睨んできた。
「なあ、孫市、覚えているか」
 慶次は孫市をなだめるように言った。
「俺たちが今のように、互いが互いに恋愛感情をもって付き合う前、俺はあんたと肉体関係をもったことがあっただろう?」 「ああ、もちろん覚えているぜ」
「俺はあのとき、あんたは俺を興味本位か性欲解消のために抱いたと思っていたが、悔しいとか、嫌だったという感情は一切持ったことはなかったぜ」
 そういうと孫市はムッとした顔をした。
「お前は知らなかったかもしれないが、俺はお前を好きだから抱いたんだ。慶次をただの性欲処理のために抱いた事なんてねえぜ」
「それはそうかもしれねえ。だが俺はあんたの気持ちに気づいていなかったんだ。恋愛感情もないのに抱いた、と思ってもしかたねえだろ」
「でもな、俺は慶次を力づくで抱いたことはない」
 何を言っても小太郎を許そうとはしない孫市に、慶次はため息を吐いた。こうなったら小太郎が命の恩人であることを話さなければならないと慶次は思った。
 北条との戦いの際、津久井城で苦戦している最中、じつは影で小太郎が加勢してくれていたことを慶次は孫市に話した。それを知ると、さすがに孫市の顔色が変わった。徐々に小太郎への怒りが薄れてきたのか、穏やかな顔つきになった。
 完全に許す気になったわけではないが、風魔を討伐しようという気は削がれてしまったのか、
「あいつには借りがあるというわけか」
 と呟いて、慶次のそばに腰を下ろし、胡座をかいた。
 慶次は安堵して、ホッと息を吐いた。だが、慶次が安心したのもつかの間、
「それにしても、慶次。お前、ほんとうに風魔に惚れているというわけじゃねえんだな」
 と孫市は言って、じろりと睨んできた。慶次はどきりとする。
 小太郎に惚れていないと言ったら嘘になる。友として、というなら確実に惚れている。何となく自分と似ているところがあるし、心が不思議と通じているとも思う。だがそれを正直に言ってしまったら、孫市の嫉妬を下手に煽るだけだと思った。
「小太郎のことは、好きだぜ。あ、でも怒るなよ、好きと言ったって孫市に惚れているように好きというわけじゃねえよ。・・・そうだな、孫市だって明智の姫さんや政宗のことは好きだろ? それと似たような感情かねえ」
「なぁ、それって相当好きな部類の奴ってことじゃねえか?」
 睨んでいる孫市の眼が鋭くなった。
「ある日とつぜん、俺ぁ、小太郎に惚れちまった、あばよ、と言って、俺から離れてゆくなんてことないよな?」
「何言っているんだい。あんた以上に惚れている男はいねえ、といっただろ」
 慶次は言って、ふて腐れたような顔をしている孫市を抱きしめた。言葉だけでは納得しない孫市には、行動で示すしかなかった。
 めずらしく慶次から積極的に抱きしめたことがよほど嬉しかったのか、孫市は満面の笑みを浮かべ、慶次にしがみつくように抱きしめかえしてきた。
「なあ、慶次」
 孫市は慶次の首に顔を埋めて、ささやいた。
「なんだい?」
「お前、俺を愛しているんだろ?」
「ああ」
 慶次が答えると、孫市は相変わらず慶次にしがみついたまま言葉を続けた。
「じゃあさ、今から千回、あんたを愛しているって俺の耳元で言ってくれないか?」
「あんたに惚れている、じゃだめなのかい?」
 愛していると言う言葉は、慶次にとってどうにも照れくさい。できれば変えて欲しかった。
「ああ、だめだ。愛している、がいい」
「どうしてもかい?」
「ああ、どうしてもだ」
 一歩も譲ろうとしない孫市に、慶次はついに根負けした。耳まで真っ赤にしながらも、慶次は孫市の耳に唇を近づけて、
 愛している、あんたを愛している・・・とささやき始めた。
 だが、二百に達する前に、慶次の色香に煽られた孫市が押し倒してきて・・・。
 結局、孫市の濃厚な愛撫に引きずられるようにして、明け方まで同衾に付き合わされるはめになってしまった。


 それから約一週間あまり、慶次は窮屈な日々を過ごさねばならなかった。
 どこに行くにも、何をするにも孫市がついていて、たかだか四半刻さえも一人になれる時間がなかったからだ。
 だがついに、慶次は孫市の眼を逃れて、松風に飛び乗った。そして山へ駆け上り、ひさしぶりに一人と一頭だけの時間を楽しんだ。小太郎が再び、慶次の前に姿を現したのは、ちょうど沢の水で、松風の身体を洗っているときであった。
「慶次、うぬに会いに来た」
 気配もなく背後に立った小太郎に声をかけられ、慶次は驚いて振り返った。
「小太郎!」
 慶次は嬉しくなって声を上げたが、すぐに四方を見渡した。万一、孫市が来ていたらまずいと思ったからだ。
「すまない、小太郎。あんたと俺がいっしょにいるところを見られたくない奴がいるもんでね」
 苦々しく言った慶次を見て、小太郎はフッと笑った。
「分かっている。雑賀の頭領であろう」
「ああ、そうなんだ。すっかりあんたを警戒しちまってねえ。・・・もう小太郎とは同衾しねえから大丈夫だ、と言ったんだが、あまり信用されていないみたいでねえ」
「そうか」
 小太郎は少し笑いを含んだような声で答えて、じっと慶次を見た。慶次は、小太郎の緑かかった不思議な色の瞳に見つめられ、少し照れくさくなって、わざと松風に関心を向けている振りをした。
 そのときであった。ふっと接近してきた小太郎に顎を掴まれ、気づくと唇に接吻されていた。
 驚いた慶次が、どんと小太郎の胸を叩いて離れると、小太郎は面白そうに見て笑った。
「何をするんだい!」
 未だ驚きがおさまらない慶次が声を上げると、
「接吻をしただけだ」
 と小太郎はこともなげに言った。
「うぬは我と同衾できぬといったが、接吻はできぬと言わなかった」
 小太郎に続けて言われ、慶次はうっとつまった。
「人は好きな者に、こうして情を伝えるものだと聞いた。間違っているのか?」
「間違ってはいねえが、あんたと接吻するのはやっぱりまずい・・・と思う」
 遠慮がちに言った慶次を、小太郎はじっと見つめた。
「では何ならよい」
 慶次はしばらく考えた後、答えた。
「手をつなぐだけならかまわねえかな」
「手・・・か」
 呟いた小太郎は、少し間を置き、
「それではつまらぬ」
 と慶次の提案を一蹴りした。そして、
「我は同衾をしないという、うぬとの約は守る。・・・だが、これ以上の譲歩はせぬ」
 と言って、慶次に近づき、食らいつくように強引に接吻した。角度を変え何度も唇を吸われ、舌を絡まされ、唾液が唇の周りを濡らす頃、小太郎はようやく慶次を解放した。小太郎は相変わらずの馬鹿力で慶次を抱きしめていたため、抵抗するのも容易ではない。それに接吻くらいで抗うのも馬鹿馬鹿しく思え、抵抗らしい抵抗はしなかった。
 接吻が終わった後も、小太郎は、慶次が照れくさくなって顔を背けたくなるほど執拗に慶次を眺めていたが、ふいに言った。
「今日は、うぬに会わせたいものがいる」
「誰だい?」
 慶次は少しほっとしながら言った。
「我の友だ」
 そう答えた小太郎が、背後をふりかえると、それが合図であるかのように、木の間だから驚くほど大きな狼が姿を現し、あっというまに慶次の目の前まで来た。
 松風が警戒して、嘶き声を上げた。
 小太郎の狼も、松風を睨み、喉の奥からうなり声を上げたが、間もなく二頭は、それぞれの友によってなだめられ、相手を威嚇するのを止めた。
「小太郎の友は、美しいねえ!」
 慶次は目の前の、いかにも気高そうな顔つきをした狼を惚れ惚れと見つめ、感嘆の声を上げた。銀色かかった毛並みが美しく、気安く触るのが憚られる存在感がある。慶次は一目でこの狼が好きになった。
 そして小太郎が止める間もなく、狼のほうに手を伸ばしためらうことなく頭を撫でた。
 小太郎はひやりとした。
 だが小太郎の予想に反して、狼はすぐに慶次に心を許し、大人しく撫でられてた。しまいには慶次の手を舐めだしたところを見て、小太郎は正直、驚いた。今までこの狼は、ここまで人に心を許したことがなかったからだ。
「うぬは不思議な男よ。我だけでなく、我の狼まで虜としてしまうとは」
 小太郎の言葉に、慶次は笑った。
「虜ってのは、いいすぎじゃねえか。俺は動物に目がないからねえ。きっとその気持ちが獣にも伝わるのさ」
 そう言った慶次は、心から愛おしむように狼を撫で、やがて狼の方も慶次に甘えるように顔中なめ回すまでになった。その姿をじっと見ていた小太郎は、狼に近づき、耳元で何事かをささやいた。
 狼は小太郎に同意するように、喉の奥からうなり声を上げると、後ろに飛びすさり驚くほどの速さで木々の間をかけぬけ、姿を消した。
「心配せずともすぐに戻ってくる」
 小太郎は狼が消えたあたりをいつまでも見ている慶次に言った。
 はたして、小太郎の言うとおり狼は間もなく戻ってきた。口を大きく開け、小さい毛玉のようなものをくわえている。
 狼が目の前で立ち止まったところで、口にくわえているのが、狼の子供だと気づいた。
「こりゃあ、可愛いねえ!」
 慶次は声を上げずにはいられなかった。父親に似た、銀色かかった毛並みの子狼は、まんまるなあどけない瞳で慶次を見つめ、興味津々に鼻をひくつかせている。やがて地面に降ろされた子狼は、土を踏むのが楽しくてしかたないというように、小さな足を必死に動かして、ちょこまか歩き出した。
 子狼のしぐさは犬の子供と少しも変わらず、何をしていても可愛くてたまらなかった。
「うぬにその子を預けよう」
 仰向けになった子狼の腹を撫で、嬉しげに手を甘噛みさせている慶次を見て、小太郎が言った。
「え、いいのかい?」
「我の友が、うぬなら構わぬと言った。うぬであれば、その子を粗末にはあつかわぬであろう?」
「そりゃ、もちろんさ! 精一杯かわいがるぜ、絶対だ。でも本当にいいのかい?」
 慶次はそう言いながらも、もう子狼を手放したくないという気持ちがあって、しっかり懐に抱きかかえていた。
「かまわぬ。その狼は我とうぬの絆の証。連れてゆくがいい」


 その日から、小田原城の慶次の部屋には、小さなやんちゃな仲間が加わった。
 狼の子だと正直に言ったら、皆を驚かせ、政宗に城で飼うのを反対されると危惧した慶次は、拾ってきた子犬だと嘘を言っている。
 だが孫市は、いぶかしんでいる様子で、
「ただの犬の子にしちゃ、足がでかくないか?」
「そいつ絶対、大きくなるぜ」
 と何度も慶次に言ってくる。それでも孫市なりに可愛がっていて、慶次の知らぬ間に、
『銀次』
 という名前をつけて呼んでいたので、いつのまにかそれが子狼の名前になってしまった。
 慶次が、牛の乳を指に含ませてしゃぶらせたり、鶏肉を細かくしたものを上げたりして銀次の世話をしていると、まるで父親にでもなったかのように、
「銀次を湯に入れるのは俺だからな」
 と言ってきて、慶次に負けないくらい子狼を甘やかしてもいた。
 もとは小太郎の狼の子だと知らずに世話をやいている孫市の姿をみていると、慶次は吹き出しそうになる。
(だが、銀次がもう少し大きくなったら、本当のことを話さなきゃならねえな)
 そのときの孫市の驚きぶりを想像しながら、慶次は、ひとり忍び笑いをした。そしてこの小さな狼が孫市と小太郎の仲を今よりいくらか良いものにしてくれればいい、と心の中で思った。

2010.06.29 完結