秘め事3
「それにしても、本庄殿の顔は傑作だったな!」
左近は豪快に笑った。
「本庄殿の台詞がまた振るっている。『こらー、待て!この悪童共!兼続に言いつけるぞ!』ときたもんだ。俺はこの年になって、悪童呼ばわりされるとは、思いもしなかったねえ」
慶次もこれに答えて笑う。
慶次と左近はつい数分前に見た光景を思い出して、愉快に笑い合った。
馬駆け禁止通りを松風に走らせていた慶次と左近であったが、その通りを抜けた辺りで、一人の老将に見咎められてしまった。
だが二人を見咎めたこの老将、よりによって上杉家中の若者たちから『蛙鳴じじい』と渾名されているほど、口うるさいことで有名な人物であった。そして慶次もまた、日頃この老将から、
「そんなうつけた格好をするな」
「せめて髪を黒く染めたらどうだ」
などと小言を云われ、正直少々うんざりしていたのである。
そのお返しとして、ひとつこの老将をからかってやろうと思った慶次は、呼び止められるがままに松風を停止させ素直にしたがったと見せかけ、老将がこちらに接近して来るや、「わっはっは」と哄声を上げてするりと逃げ出した。
その時の本庄の唖然とした表情と、逃げ出す慶次たちの背中に浴びせた文句が滑稽で、二人は顔を見合わせて、思わず吹き出してしまったのだった。
「だがこれで、明日兼続に呼び出されることは、ほぼ確実になっちまったな」
頭を掻きながら、情けない声で慶次が言って来たので、左近はニヤニヤと笑った。
「もしかして・・・怖くてたまらないのか」
「たまらねえ、って程ではないが、ちょっとだけ怖いな」
からかうような口調で訊いた左近に、慶次は大真面目な顔で答える。
(この素直さが、殿にはないこの御仁の可愛いさだな)
左近はそう思いながら、低く忍び笑いをした。
「でも、まあ、今からそのことを心配していてもしょうがねえ。それに明日は左近殿も俺と一緒に、兼続に叱られるんだ。その時、左近殿がどんな顔をするか、正直楽しみでねえ」
「もしかして、慶次殿はそれが見たくて、わざと松風を走らせたんじゃないでしょうね!」
左近が冗談交じりに言うと、慶次は、
「いや、そうじゃねえよ」
と言って笑った。
「・・・・・でも」
「──ん?」
「ほんの少しは、そういう気持ちもあったかもしれねえなあ。ま、ほんの少しだけどな」
「慶次殿、そりゃあ、ひでえぜ!」
「ははは、悪い、悪い」
「悪い、悪い、じゃないですよ!こうなったら、今度俺が殿に叱られるときは慶次殿にも一度つき合ってもらいましょうかねえ」
左近はわざと神妙な口調で言った。
「左近殿もよく、三成に叱られるのかい?」
くすくすと慶次は笑って、左近の方を振り向く。
「よく、ってほどでは。ま、俺は慶次殿と違って、普段は品行方正なんでね」
「普段は・・・って、それじゃあ、まるで俺が左近殿を悪巧みに引きずりこんでいるみたいじゃねえか!」
「なぜか慶次殿といると、ちょっとした悪ふざけをやりたくなっちまうんだよな。そういう気が起こっちまう。そういう意味じゃ、俺を引きずり込んでいるってことになるのかな」
「俺はそんな気を起こさせるつもりは、全然ねえんだけどなあ!」
そんな軽口をたたきあっているうちに、二人は目的地にたどり着いた。
そこは山と山の谷間にある川原で、雉が数多く生息していると地元で評判の場所であった。少し長めな草がびっしり生えたその川原は、餌が豊富にありそうだ。そしてなるほど、ちょっと注意して見るだけで、雉が草の間をかき分けてひょこひょこ歩いている姿を簡単に見つけことができた。おまけに人間を見てもまったく警戒せず、五、六尺の距離に近づいても、こちらをキョトンと見ているだけで逃げようとしない。
「こりゃあまた、ずいぶんと肝が据わった雉だねえ。弓矢を持ってきたが必要ねえみてえだな」
「ああ、素手でパッと捕れちまいそうだぜ」
「ああ、確かに。早速行くぜ」
慶次はそう言って、忍び足で雉の背後からそっと近づいた。
そのまま、身をかがめて飛び付くと、容易に雉の体を手で挟むことができた。
雉はしばらく慶次の腕の中で「ケーン」と鳴きながらもがいていたが、慶次が首の骨をポキっと折ると、やがて雉は静かになり、完全に動かなくなった。
「ちょっとばかり、躊躇っちまったよ」
慶次はそう言って、照れくさそうに笑った。
「ふつう弓や何かで得物を捕まえると、大抵もうその時、動物は死んでるだろ?もしくは瀕死の状態だ。腕の中で元気にばたばた暴れる動物を殺すってのは、あまり気分の良いもんじゃないねえ」
「そんなもんかねえ? じゃあ俺がその雉、捌きましょうか?」
「ああ、そうだな。じゃあ、左近殿に頼むとしよう」
一瞬、考えた後、慶次は雉を左近に手渡した。
「お、こりゃあ、旨いですね!」
慶次が器に盛り、手渡した雉鍋を一口頬張ると、左近は感嘆の声を上げた。
川原の草があまり繁っていない場所で火を焚き、雉鍋を作り始めてから一刻半(3時間)、見るからに食欲をそそる美味しそうな雉鍋が出来上がった。
昼食を食べ損ねていた左近は、それを目にしたとたん急激に空腹感を覚えた。
口に入れると、雉の肉の上品な味がふんわりと広がり、思わず左近はにっこり笑った。
「そうかい?そりゃあ、良かった。沢山あるから、いっぱい食べてくれ。・・・ん、これなら、まあ幸村に出しても恥ずかしくない程度にはできたかな」
慶次も一口食べて、頷きながら言う。
「いや、これなら真田殿も喜ぶこと間違いなしだ。・・・雉って淡泊な肉だから、ふつうもっとあっさりした味でしょ?でもこれは汁が凄い濃厚だ。こんなの初めてだな」
「雉の骨と内臓を煮込んでダシを取ったんだ。おかげで出来上がるまでにずいぶんと時間がかかっちまったけどな」
すっかり日が暮れ、ちらほら星が瞬き始めた空を見上げ、慶次は言った。
「明日も特にやることはないんだし、このままここで夜を明かしたっていい。ま、のんびり行きましょう」
「俺はここで野宿しても一向に構わねえが、左近殿が戻らなかったら三成は心配するんじゃないのかい?」
「心配してくれるなら、嬉しんですけどね。心配するどころか、今頃俺がいなくなって『うっとおしいのがいなくなった』と、清々していると思うぜ」
子供のようにふて腐れた顔をして左近が言ったので、慶次は笑ってしまった。
「いや、そりゃあねえだろう。三成はあの通り、表面上は素直に見えねえが、心の奥底は純情で、素直な男だぜ。己の知行半分を渡し、頭を下げて仕官を頼むことができるような男は滅多にいない。そりゃあ三成は、自分には欠けている知略や武力を補う人物が欲しいっていう動機からお前さんを必要としたんだろうが、それでもなかなか頭を下げて頼めねえもんだぜ。それができる三成は、大したもんだ。ま、それだけ三成は、左近殿に惚れているってことなんだろうよ。今頃、お前さんはどこに行ってしまったかと、気を揉んでいるはずさ」
「いやあ、それは買い被りってやつだ。俺はそんなに殿から惚れられてないですよ」
慶次の口から『三成は左近殿に惚れている』と言われ、照れくさくなった左近は恥ずかしそうに頬を掻いた。
「それになあ、兼続もこう言ってたぜ。『もし万が一、左近殿が三成より先にこの世を去るようなことがあれば、三成はきっと生きて行く気力を失ってしまうだろう。三成は意地っ張りで、自分の気持ちを素直に現さないが、もし左近殿がいなくなったら自分の正気が保てなくなるほど左近殿に惚れていることを三成自身が一番よく理解している』と、な」
「いやあ、それは・・・そんなことは・・・・」
左近はますます恥ずかしくなって、頬をカーッと染めた。
他人の口から、三成が己をどう思っているかなどという見解を聞くことなどめったにない。だからこそ慶次から語られる言葉は、気恥ずかしく、くすぐったい気持ちにさせる。さらに兼続の言葉には三成をよく知る者ゆえの説得力があって、左近の胸に嬉しさと恥ずかしさが同時に込みあげてきた。
「ところで、景勝公から賜った酒を持ってきたんだが一献どうだい?」
そんな左近をしばらくの間ニヤニヤと見ていた慶次であったが、これ以上恥ずかしがらせるのも可哀想だと思い、話しを逸らした。
「おお、いいね!」
とすぐさま左近も話しに乗る。
「だが、景勝公から賜ったなんていう大事な酒を俺なんかに飲ませちまっていいのか?」
心底心配そうな顔をして訊ねてきた左近に、慶次は笑顔を向ける。
『左近は、自惚れが強すぎるところが玉に瑕だ』
と三成から聞いていた慶次は、左近に対して尊大な印象を抱いていたのだが、決してそんなことはないと思った。自惚れが強すぎる男なら、こんな風に謙虚な言葉を口にしないであろう。慶次はわきまえるべきところはわきまえる、この左近の謙虚さに好感を抱いた。
(それに少々自惚れが強いくらいが、面白い男ってもんさ)
「いや、全然かまわねえよ。むしろ左近殿に味わってもらえれば光栄だ。戦場での左近殿の勇猛ぶりは、俺も耳にしている。左近殿とは以前から、一度じっくり話してみてえと思っていたが、なかなかその機会がなくてなあ。今日は左近殿とこうして交友を結んだ記念の日だ。景勝公から賜った酒を飲むに相応しい日だろ?」
戦国の鬼神として名高い慶次からこんなことを言われ、左近はまたもや照れてしまった。普段はするするっと美辞麗句を言える左近なのだが、なぜか慶次の前だと口下手になってしまう。
「俺も以前から、慶次殿の武勇を知っていたし、尊敬もしていたぜ」
「慶次殿の髪が好きでしてね。一目見たときから、惚れてしまった」
「ま、髪だけじゃなく、容姿も壮麗だがな」
等々、言いたいことは沢山あるのだが、相変わらず馬鹿の一つ覚えのように
「いや、そんな・・・」
としか言えない自分に、苛立ちを覚えていた。
「それになあ、ちょっと奇妙なんだが、景勝公からこの酒を賜ったとき、景勝公は俺に『これは一人で飲酒しては駄目だぞ。お前の大切な友人と飲め』と何度も繰り返しおっしゃってなあ。俺はその時、訝しく思ったんだが『承知した』と申し上げて、景勝公の屋敷を後にしてな・・・。まあ、それでこの酒を一人で飲んじゃいけねえような気がして、それもあって今日ここに持ってきたんだ」
「確かに、それは妙だなあ」
話題が変わったことに安堵しながら、左近は答えた。
「もしかしたら、一人で飲んではもったいないほどの旨い酒ってことかもしれないぜ」
左近が言うと、慶次は考え込む仕草をした。
「そうかねえ。それだったら、景勝公はもっと分かりやすく『絶品の酒だから、誰かと飲め』と言いそうなものだけどねえ。・・・まあ、飲んでみれば理由がわかるだろうさ」
盃に注いだ酒を眺め、匂いを嗅いだ。
「特に何も変わったところはなさそうだねえ」
慶次の言葉に、左近は頷く。
「まさか毒が盛ってあるなんてことは考えられないし、とにかく飲んでみるとしますか」
そう言って左近はグッと仰った。
続いて慶次も酒を口に含み、嚥下する。
それは極上の酒で、口に含んだとたん花のような甘い香りが口内に広がり、慶次は思わず微笑んだ。
「こりゃあ、旨い酒だねえ!」
慶次が感嘆の声を上げると、左近も笑って頷く。
「俺はこんな旨い酒を飲んだのは初めてだ」
「やっぱり左近殿の言うように、あまりにも旨い酒だから一人で飲むのはもったいないという意味で、景勝公は『一人で飲むな』とおっしゃったのかもしれねえなあ」
「旨い雉鍋に、旨い酒。こうして慶次殿とも交友を結べたし、今日は慶次殿の元を訪ねたおかげで、俺は思いもかけぬ良い思いができた」
「そうかい?そう思ってくれるなら、嬉しいねえ」
ニコニコと笑う慶次に、左近もまた笑い返す。
最初は気乗りせずに慶次を訪ねた左近だったが、今は訪ねて本当に良かったと心から思っていた。厄介なことを左近に押しつけてきた三成にも、今は感謝している。間接的にこの機会を与えてくれた兼続のために少しは手を貸してやるか、とも思い始めている。
(ま、せめて慶次殿が兼続をどう思っているかだけでも、探ってやるか。聞かなくても、あの馬揃えの話しで大体察しは付くがな・・・)
「・・・・ところで、慶次殿が兼続殿への気持ちを一言で現すとしたら、何という言葉が一番相応しいと思う?」
「どうしたんだい?唐突に・・・」
慶次はキョトンと不思議そうな顔を向ける。
「いや、さっきまで殿と俺の話題ばかりが出ていたから、今度は慶次殿と兼続殿のことを話そうとかと思ってね」
左近は言って、こほんと咳払いをした。
「う〜ん、そうだなあ。親友って言葉が、一番相応しいと思うけどねえ」
「単なる、か?」
「単なる、って・・・・親友って言葉は相手に対する最大の好意を現す、言葉の一つだと思うけどねえ」
「まあ、そりゃあそうなんだが・・・・」
慶次の答えを聞きながら、左近は内心
「こりゃあ、駄目だ」
と思っていた。
兼続には気の毒だが、慶次は兼続に恋愛感情を抱いていない。
そのことはほぼ確定したが、今度は兼続の恋が果たして実る余地があるのかどうかをもう少し聞き質してみようと左近は考えた。そこまで探査しておけば、三成も納得するだろう。
「じゃあ、もし兼続殿が誰かと恋仲になっても平然としていられるか?」
左近がこう質問すると、慶次は怪訝な顔をした。
「左近殿はさっきから、おかしな質問ばかりしてくるが、もしかして兼続に恋慕の情でも抱いているのかい?」
「いや、そうじゃない!断じて違う!」
左近は力いっぱい否定した。
(兼続に恋慕だと?そんなの冗談でもありえねえな!)
「何もそんなに、ムキになって否定しなくてもいいんじゃないかねえ」
左近があまりに力強く否定したので、慶次は驚いて目を見開いた。
「さっきの左近殿の質問だが、俺は兼続が誰かと恋仲になっても別に構わねえと思っているよ。第一、俺には兼続の色恋沙汰に口を出す権利なんてねえしなあ。それに兼続には、もう恋仲の相手がいるじゃねえか」
「──え?」
思いもよらぬことを言われた左近は、呆けた顔をして慶次に聞きかえした。
「相手は左近殿も、知りすぎるほど知っている人さ」
「だ、だけど、兼続は慶次殿に・・・・」
恋をしているんじゃないのか?!だとしたら、完全に殿の早とちりじゃねえか!なんだよ、アホくせ!
そんなことを思っていると、慶次はさらに左近が驚愕するようなことを言ってきた。
「兼続の恋仲の相手は三成だよ。あの二人は見るからに熱々だから、すぐに左近殿も気づいただろ?」
「えええええー!!」
左近は目を剥いて叫んだ。
「おや?もしかして気づいていなかったのかい?」
慶次は瞠目した表情で左近を見つめ、
「そうか、じゃあ左近殿に言うのはまずかったかな」
などと呟いている。
「だ、だ、だけど、殿の相手は・・・」
(この俺だ!)
と左近は叫びたい衝動に駆られたが、グッと息を飲み込んだ。
三成から、自分たちが同衾する間柄であることを公言するのを、固く禁じられていたからである。
「だからなあ、兼続の口から『三成は左近殿に惚れている・・・』云々を聞いたとき、俺は兼続の心の広さに感服しちまってなあ。自分が惚れている相手が、自分だけじゃなく他の人にも惚れているってことを認めるのは、やっぱり嫌なものだろ?兼続はきっと、三成が自分に惚れていてくれるなら、それ以上のことは望んでいねえんだろうな。その度量の広さがたまらないねえ!良い漢はこうでなくちゃな。・・・左近殿もそう思うだろ?」
(そう思うだろ?って同意を求められてもなあ!)
左近は答えに窮してしまう。
兼続と三成は恋仲だと大きな勘違いをし、兼続の器量に感じ入っている慶次を見て、果たして何と言って良いものかと、左近は頭を抱えたくなった。