秘め事4

「でも俺が思うに、殿と兼続殿は恋仲じゃないと思うけどなあ」
 本当のことを暴露できない歯痒さとともに、左近は話を切り出す。
「え?!そうなのかい?」
「ま、俺が思うに、だけどな」
(何が俺が思うに、だよ!)
 と慶次に嘘をついている左近は自分自身に突っ込みを入れる。
「殿がもし兼続殿と恋仲だったら、せっかく兼続殿の屋敷に滞在しているって時に、兼続殿と・・・・・ほら、イタさないってことはないだろ?でも殿は大抵、夜間は俺と一緒にいるし、あの二人が昼間っからそういうことをやるとは思えない。だから俺は二人が恋仲じゃないと考えているんだがな」
 左近は『殿は夜間、俺と一緒にいる』と言って、三成が自分のものであることをさりげなくアピールする。勘の良い人間ならすぐにピンとくるはずだ。自分たちが恋人同士だということを公言するな、と三成から言われてはいるが、誰かに悟られるな、とまでは言われていない。
 三成が自分のものであることを誰かに知って欲しくてウズウズしている左近は、これで慶次が気づいてくれたらなあ、と思っていた。
「そうか。じゃあ俺の早とちりだったってわけか。兼続と三成は親友同士ってより、恋人同士っていうくらい熱々に見えるもんだからねえ。てっきり、そう思っちまったのさ」
 だが左近の期待とは裏腹に、慶次は全く気づいた風もなくそう言っただけだったので、左近はがっかりした。どうやら慶次は色恋沙汰について敏感ではないようだ。
 むしろ鈍感だと言えるかも知れない。
(ま、そりゃあそうだよな。あの戦略家の兼続が、慶次殿が自分の恋心に気づくまで、ただじっと待っているだけで何もしない、などということはありえない。おそらく色々手を尽くしているんだろうが、この御仁は兼続の恋心に気づかないんだろうな)
 左近は兼続の途方に暮れた顔を想像して、思わずブッと吹き出してしまった。
「どうしたんだい?急に笑ったりして」
 慶次は左近の盃に酒を注ぎながら、訊ねる。
「ほら、兼続殿ってあの通り何でも器用にそつなくこなす有能な男でしょ。その兼続殿でも、本気で恋をした相手に振り回されるなんてことがあるのかなあ、と思ってね。その姿を想像したら何だか妙に可笑しくなりまして」
「兼続にそんな相手がいるのかい?」
「いや、兼続殿にそういう相手が実際いるかどうかは分からない。けど、そういう相手が一人くらいいても別におかしくないだろ?」
 左近はそう言って、うそぶく。
「まあ、確かにな。だが恋した相手に振り回される兼続ってのは、想像できないなあ。う〜ん、でもまあ恋は人を変えるともいうから、あの兼続でも振り回されるってことがあるかもしれないねえ。もし兼続にそんな相手がいるなら、是非ともそれが叶うといいなあ」
 左近は、ますます可笑しくなって大笑いをした。
 兼続が本気で恋をしている張本人は他でもない、この慶次だ。
 だが慶次は兼続の恋の相手が自分だとは微塵も思っていないばかりか、兼続の恋が叶うといいなあなどと願っている。
(ここまで鈍感、無自覚って人も珍しいよな。普通、自分が他人からどう見られているか少しは気にするものだが、慶次殿はその辺りの感覚がぽーんと抜け落ちているんだろうな)
 キョトンとした表情で自分を見つめる慶次の顔を眺めながら、左近は思った。
「それはそうと、左近殿には恋をしている相手はいないのかい?前に三成から、左近殿は戦中に『美しすぎるってのも罪だ』云々と云って閨千代さんと稲姫を口説いていたと聞いたことがあるんだが、やっぱりああいう武芸達者な凛とした美人が、左近殿の好みの女人なのかい?」
 しばらく大笑いしていた左近であったが、突如慶次からそう話しを切り出され、飲んでいた酒を思わず吹きそうになった。器官に酒を詰まらせた左近は、コンコンと咳を始めた。
「大丈夫かい?」
と言って、己の背中をさすり始めた慶次を横目で見やると、慶次はニヤニヤと面白そうに笑みを浮かべていた。
 左近はその慶次のニヤリ顔を見て、三成はどうせ
「左近は無類の女好きだ」
 とでも言って言って、ろくでもないことを吹き込んだに違いないと思った。
 三成は、綺麗な女を見るたびに口説いていた左近がよっぽど気に入らなかったらしく、恋仲になった今でも時々そのことを蒸し返してくる。同衾中にも何度か、
「左近はやっぱり女の方がいいんだろ?」
 などと言って拗ねた顔を向けてきたことがあった。その度に
「俺は殿の方がずっと好きですよ」
 と言って諫めているのだが、左近のことを信じていないのか疑いの目を向けてくる。
 おそらく三成は、兼続に愚痴の一つもこぼしているだろうとは思っていたが、まさか慶次にまでそんなことを話していたとは思いもしなかった。
「いやまあ、その・・・」
 咳がようやく収まった左近は、しどろもどろになって答える。
 閨千代と稲姫を口説いたことは事実だけに、どうにも言い訳しにくい。
「・・・確かに俺はそのお二人に『美しい』と言ったことがありますが、それはお二人に惚れているってわけではなないです。女の人に対する一種の社交辞令ですよ。それに綺麗なものを見ると、俺はそれを口に出さずにはいられなくなる質でね」
 左近がそう言うと、慶次は「へえ」と呟いてクッと喉の奥で笑った。
「どうしたんです?」
「いや、ちょっとある男のことを思い出してねえ」
「ある男?」
「ある男ってのは、俺の・・・親友なんだが、そいつも綺麗な女人を見るとところかまわず口説き始めてしまうような男でね。大抵口説いた女に呆れられるか、叩かれるかして逃げられちまうんだが、それでもめげない男でねえ。そいつはよく『俺はすべての女性のために生きている』などと言っていたな」
 慶次はそう言うと、その男のことを思い出しているのか、何とも懐かしそうな、それでいてどこか切ないような表情で空を見上げた。
「その慶次殿の友人ってのは・・・」
 慶次にそんな表情をさせる男が誰であるのか、左近は酷く気になった。
 だが言いかけて止めた。
 男の名を聞いてしまったら、なぜか自分は何か嫌な気分になるような予感がしたからである。
「その慶次殿の友人と俺は似ているところがありますが、一つだけ大きく異なるところがある」
「へえ?」
「俺の場合、大抵口説いた女はものにする。そこが大きく異なるな」
 慶次はキョトンという顔をした。そして、大きく破顔する。
「こりゃあまた、ずいぶんと言うねえ!」
 そう言って、再び大笑いをした。
「ってことは、左近殿は閨千代さんと稲姫のどちらもものにしたのかい?三成はそれらしきことは、何も云っていなかったけどねえ」
 慶次は左近に顔をからかうような視線を向けながら、訊ねてきた。
 慶次の問いを受けた左近は、一瞬、うっと怯んだ。
 閨千代と稲姫のどちらもものにできなかったからである。
「これは慶次殿に、一本とられましたな!いや、参った参った!」
 一瞬の間の後、左近は自分の額をぴしっと叩いて、叫んだ。
 慶次はその左近の様子を見て、ブッと吹き出した。
 その笑いにつられて、左近も笑い出す。
 満点の星が輝く夜空に、二人の朗らかな笑い声がいつまでも響いた。


 夜もすっかり更け、次第に瞼が重くなってきた二人は、草の上で睡眠をとることにした。夜もすっかり更け、次第に瞼が重くなってきた二人は、草の上で睡眠をとることにした。夜もすっかり更け、次第に瞼が重くなってきた二人は、草の上で睡眠をとることにした。
「野獣よけに火はつけておいたほうがいいな」
「そうだねえ、念のためにつけておいたほうがいいかもしれないねえ。それに火を消しちまうと、さすがにかなり肌寒いしなあ」
 慶次は肩を手でさすりながら、ぶるっと身を震わせる。
 それを見た左近はくすっと笑った。
「では慶次殿は、火に近い側で眠ったほうがいい。俺はそれほど寒いってわけではないですから」
「そうかい?じゃあ、ありがたく。俺は寒さにどうも弱くてねえ」
 慶次は言って火に近い場所に移動すると、高く結い上げていた髪を解いた。
 そしてバサッと肩に落ちてきた髪を、手で払うようにして背中に流す。
 髪を下ろした慶次の姿を初めて見た左近は、慶次の雰囲気ががらりとかわったことに驚き目を見張った。髪を結っている時の慶次に比べ、柔らかい印象を与え親しみやすい感じがする。
「左近殿、どうかしたかい?」
 瞠目した表情で自分を眺めている左近を見て、慶次は不思議そうに首を傾げる。
「いや、髪を解くとずいぶんと印象が変わるもんだなあと思ってね。今のほうがずっと綺麗だ。俺は今の慶次殿の方が好きだな」
(いや、好きというより、かなりグッと来てしまった。髪を解いた慶次殿、可愛いじゃないか!)
 左近は慶次の姿にやや見惚れる。
 左近の言葉を聞いた慶次は、一瞬目をまんまるくしたが、やがてわははと笑い出した。
「左近殿は男にも社交辞令とやらを云うのかい?ま、ありがたく受け取っておくとしよう」
「いや、俺は思ったことを言っただけで社交辞令じゃないぜ」
「そうかい、そうかい」
 慶次は適当にあしらうように言う。
「そうかい、そうかいって・・・・ひでえなあ!俺の言葉を信用していないだろ?」
「はっきり言っちまうと、信用してないな」
「そりゃあないぜ!」
 二人はしばらく軽口を言い合っていたが、心地よい満腹感と適度な疲労で、たちまち強い眠気に誘われる。草の上に寝ころぶと、あっという間に眠りについた。


 それから間もなく、左近は異変を感じて、目を覚ました。
 身体の奥が燃え上がるように熱い。
 尋常ではない熱さに左近が驚いていると、その熱さは痺れるような強い疼きへと変化していった。
(一体、俺はどうしたんだ?)
 かつて感じたことがないような身体の異変に、左近は酷く動転して、飛び起きた。
「左近殿、どうかしたのかい?」
 左近が飛び起きた気配で目を覚ました慶次が、寝惚け眼の表情で訊ねる。
「身体が何かおかしい・・・」
 左近は慶次に縋るような視線を向ける。
「身体がおかしい・・・?」
「ああ、身体の奥がとても熱くてな、それが強く痺れるような感覚に変わって、今は酷く淫らな・・・誰かとやりたくて堪らないような欲望が、腰の奥からじわじわと沸きあがってきている」
「──はあ?」
 左近の口から突飛もないことを聞かされ、慶次は呆けたような口調で訊き返してしまう。
「それに慶次殿が酷く綺麗に見えるんです。いや、綺麗というより色気がある」
「え?!・・・い、色気があるって」
「ああ、その金色の髪からも、首筋の白い肌からも、肉感的な腰つきからも色気が漂っている。ふるいつきたくなるような色気だ」
(色気が漂っているって・・・そりゃあ、絶対目の錯覚か何かに決まっている!)
 と慶次は思ったが、突如ぬっと伸びてきた左近の手が慶次の腕をがしっと掴んだので、驚愕してしまって何も言えなかった。
「俺はどうやら慶次殿に欲情しちまっているようだ。なぜだか分からないが、抑えがたいほどのほど性欲が込みあげてきている。とにかくやりたくて堪らない」
「やりたくて堪らないって言われてもなあ!突然、そんなことを言われても困る!俺は左近殿が好きだが、左近殿と同衾するつもりは全くない!全くないんだって!」
 慶次は懸命に訴えたが、それが全く耳に入っていないのか、左近はじりじりと近づいてくる。
 慶次は身体を後ろにいざなって逃げようとしたが、後ろには野獣よけの火があって逃げることができない。慶次は真っ青になって慌てたが、もう遅かった。
 左近はあっという間に慶次の両肩を掴み、ぐいっと引き寄せて抱きすくめた。
 そして首筋にかぶりつくようにして、強く吸い付いてくる。
「左近殿、待って!待って!待ってくれ〜!!頼む!!」
「いや、もう待てないですねえ」
 慶次の訴えはあっさり否定され、強い力でドサリと火とは反対側の草むらに押し倒された。
 慶次は懸命に左近の身体を押し返そうとしたが、左近は慶次の身体の上に完全に乗り上げ、ぎゅうぎゅうと凄まじい力で押さえつけているので、押し返すことができない。
 左近は今にも舌なめずりしそうな表情で慶次の顔を眺め見て、再び首筋にかぶりつき、唇を這わせて来た。ねちゃりと音を立てて這いずり廻る唇の感触に、不覚にも快感を感じてしまった慶次は、ぶるりと身体を震わせた。
 絶体絶命の危機を感じ、慶次はがむしゃらにもがき、左近から逃れようとした。
 その時一瞬自由になった腕を、左近と自分の身体の間に潜り込ませ、左近の鳩尾に拳を当てた。
「左近殿、すまない」
 慶次は言って、左近の鳩尾に拳をグイグイと強くめり込ませる。
 鳩尾を強く押され、苦痛と吐き気を感じた左近は、一瞬怯んだ。
 慶次はその隙に、左近の身体の下からするり這い出た。
「左近殿!お前さん、一体どうしちまったんだ?!悪い冗談か何かか?!」
 見事逃げ出た慶次は、苦しげにげほげほと咳をしている左近に向かって、怒声を浴びせた。
「・・・いや、俺も実のところ何が何だか理由が分からない。突然、耐え難いほどの性欲が込みあげてきて、何が何でも慶次殿とやらなくては気が済まなくなってね。今は少し治まって来ているが、まだ慶次殿に欲情している」
 左近はいまだ軽く咳をしながらも、、舐め回すような視線を慶次に向けてくる。
「そう言われても俺は困る!すまないが・・・・」
 自慰か何かをして熱を冷ましてくれ!と言いかけて、慶次はうっと喉をつまらせた。
 突然、腰のあたりがカーッと燃えるように熱くなり、射精欲がじわじわと込みあげて来たからである。
(左近殿が言っていたのは、このことか!)
 そう思った慶次は慌てふためいた。
 左近ばかりでなく己まで性欲に支配されてしまったら、どうなってしまうのだろうと恐れたからである。そうしている間にも、より強い射精欲が襲ってきて、慶次はイヤな汗を額に浮かべた。
「もしかして慶次殿も、俺と同じように欲情を感じているのか?」
 慶次の様子がおかしくなったことに気づいた左近は、そう訊ねる。
「欲情というより、堪らなく強い射精欲を感じる」
「俺と全く同じってわけではないようですねえ。・・・だが変だとは思わないか?」
「えっ?」
「俺だけならともかく、二人そろってこうなるなんて、とても偶然とは思えないぜ。俺たちが食べたものに原因があるんじゃないのか?」
「いわれてみれば、そうだな。・・・だが雉鍋には何も変なものは仕込んでいないぜ」
「だよな。とすると・・・・」
「──あ!!景勝公の酒だ!」
 一瞬の間の後、二人は同時に叫び声をあげた。
  「それしか原因は考えられない。あの中にきっと淫靡薬か何かが溶け込んでいたんじゃないか?」
「その可能性はあるが、だとしたらなぜ景勝公はそんなことをしたのだろう?俺には・・・・さっぱり分からねえよ」
 いよいよ苦しいほどの射精欲が込みあげてきて、慶次はうわずったような声で言った。
 だが左近には分かっていた。
 おそらく景勝は兼続の恋心を知っていて、何とかしてやりたいと考えたのだろう。
 景勝が言った「お前の大切な友人と飲め」という言葉は、要するに「兼続と飲め」という意味だったのだ。
 清廉潔白な景勝にしては、少々汚いよな、と左近は感じたが、見るに見かねてついやってしまうということは誰にでもある。だから左近はこのことを慶次に話すつもりはなかった。不用意なことを話して、わざわざ騒ぎを大きくしてしまう必要はないと思ったからである。
(それに俺はもう、慶次殿に話をしている余裕もないしな)
 左近の視線の先には、慶次が苦しげに身悶えて、はあはあと荒く息をついている姿があった。
 その姿は酷く艶めかしく、左近はゴクリと唾を飲み込んだ。