秘め事6

 「あっ、あぁぁぁぁ・・・左近殿・・!」
 ガクガクと身体を震わせながら、慶次はもう何度目にもなる絶頂に達した。
 慶次が達した瞬間、左近もまた慶次の体内に熱い体液を注ぎ込んだ。
 そして慶次の上に被さるようにして倒れ落ちる。
 絶頂を迎えた後、二人は折り重なるようにして草の上に寝転がったまましばらく動けずにいたが、やがて動く気力を取り戻した左近が、慶次の身体を抱き寄せた。
「慶次殿・・・慶次殿」
 愛おしくて愛おしくて、汗でぬかるんだ肌をかき抱き、左近は何度も慶次の頬、額、首に口吻する。
 慶次を愛おしいと思う気持ちは、一時の情熱的な気持ちなどではない。
 左近は心底、慶次を愛してしまっていることを自覚した。
 左近は慶次を抱いている時から、慶次に傾倒してゆく危うさを幾度も意識した。
 だが左近は慶次の肉体を手放すことが出来なかった。それが己を追いつめることになるのは分かっていたが、慶次を愛おしいと思うあまりに、己の感情を抑えることが出来なかった。
 左近は半刻ほど、ただ漫然と慶次を抱きしめた。
 日が傾きかけて、空と山の際が黄金色に輝いている。その美しい光景を見ながら、さわさわと川原を横切る風の音を聴きいていると、この世界に慶次と自分だけしか存在しないような気がしてくる。
「それもいいな」
 ぽつりと言った左近に、慶次は「えっ?」と返す。
「この世に慶次殿と俺しかいない。そんな世界も悪くない、と思ってね」
「二人だけかい?」
「慶次殿は厭かい?」
「厭ってわけじゃねえが・・・」
 慶次はそこで笑い、左近を見つめた。左近も慶次を見つめ返す。
 穏やかで優しい目だ、と慶次はその目を見つめながら思った。左近が向ける視線には、昨日とは違う感情が宿っているように慶次には思えた。
 友人や知り合いを見る目にしては、左近の目は優しすぎる。そんな気がした。
 左近は慶次を抱きながらずっとその目で見つめていた。慶次は切ない思いで、その目を見つめ返した。
 その左近の顔に、別の顔が重なった。
(孫市。かつて俺を愛してくれた男)
 左近に抱かれている間、慶次は何度となく孫市を思い出していた。
 左近が優しく口吻するたびに、それが孫市の口吻と重なった。
 抱きしめたときの感触も、肌と汗の匂いも孫市のそれとは違う。
 それなのに孫市を思い出すのは、やっぱり左近殿が俺を見る目が孫市の優しい眼差しに似ているからだろうな、と慶次は思った。
「ちょっとばかり刺激がたりねえんじゃないかねえ」
慶次がそう云うと、穏やかに慶次を見つめていた左近が顔を顰めた。 「刺激がたりねえって・・・そりゃあずいぶんと酷いな!」 「そうかい?」
「俺はちょっとだけ傷ついた」
「いや、勘違いしないでくれ。俺は何も左近殿と一緒にいるのがつまらねえって言っているんじゃないぜ!」
 慶次は慌てて弁解する。
「それどころか、左近殿は面白い御仁だと思っている」
「本当かい?」
「ああ、本当さ。俺は本当にそう思っている。俺が言いたかったのは人間が二人しかいない世界より、色々な人間が大勢いる世界の方が面白いんじゃねえかってことだ」
「それならいいんだが」
「左近殿と一緒にいるのは楽しいし、これからも友人としてつき合って欲しいと思っている」
「友人として」という言葉を聞いたとき、左近の胸が痛んだ。
 肌を合わせたからと言って、それが恋につながるわけではないことは、左近にも分かっている。だが慶次もまた己を好きであって欲しいと願っている左近には、どうにも割り切れない思いがした。友人であることが不満、というわけではない。慶次は十分な好意を示してくれている、とも思っている。だがそれでも、左近は慶次と恋仲になりたいという思いを捨てきれない。慶次が自分を恋の相手として見てくれたら。未練がましくそう願わずにはいられなかった。
「左近殿、怒っているのかい?」
 慶次の声で、左近は我に返る。
 ふと見やると、慶次が不安そうな顔で左近を見つめていた。
 そんな眉を曇らせた顔でさえも、左近には魅力的なものに見えた。
「いや、ただちょっと考え事をしていただけだ。もしこの世界に二人しか存在できないとしたら、一生連れ添う相手として俺は誰を選ぶだろうかってね」
「そんなことを考えていたのかい? で、左近殿は誰を選ぶつもりだい?」
 興味深気に訊ねてきた慶次に、左近は「まだ迷っている」と答える。
「殿と・・・慶次殿のどちらを選ぼうかってね」
 左近がそう答えると、慶次は目をまんまるくして驚いた。
「三成は分かるとしても、もう一人が俺ってのが意外だねえ」
「そうかい?」
「ああ。左近殿のことだから、てっきりどこかの美女の名前でも出すのかと思ったよ」
 慶次に言われて、左近は哀しくなった。
(美女なんかより、慶次殿のほうが美しい!俺は慶次殿を愛しているんだ)
 左近はそう言って自分の感情をさらけ出したい衝動に駆られた。
 左近は己の心が慶次に伝わっていないことが、たまらなく哀しかった。
 どれほど己が慶次を愛しているか伝えられたら、と思わずにはいられない。
 いっそうのこと言ってしまおうか・・・と、悶々と考える。懊悩したあげく、告白してしまおうと決意した左近が言葉を振り絞ろうとしたとき、慶次にそれを遮られた。
「三成と言えば、そろそろ帰らないと心配させちまうんじゃないかねえ。ああ見えて三成は、左近殿をずいぶんと頼りにしているからなあ」
 左近はハッとした。慶次は左近の内心を読み取って、この言葉を口にしたわけではないだろう。だが慶次の言葉は、左近の衝動を鈍らせるのに十分な効果があった。
 このとき、左近の脳裏に三成の姿が過ぎった。
 左近が死ぬ思いで恋心を告白したときの三成の姿。
 左近が三成に恋心を告白したとき、三成は今にも泣きそうな表情をしていた。
(俺に一生付いて来てくれるなら、受け入れてやってもいい)
 そう言って、縋り付いてきた三成の身体の震えを、左近は今も鮮明に覚えていた。
 あの時、俺は・・・。
 殿が愛おしくて愛おしくて、胸が苦しくなるほどだった。
「左近殿?」
 訝しげなた慶次の声で左近は我に返った。そして慶次を見つめる。
 俺は殿を心から愛している・・・・。
 だが俺は・・・慶次殿も愛している。愛おしくてたまらない。
 そう思う気持ちが心の底から溢れてきて、左近は胸に甘い痛みを感じた。
 だが口に出したくてたまらない気持ちを、左近は懸命に耐えた。
 言葉にしてしまったら、この溢れる思いを抑えられなくなる。
 左近はそれがたまらなく恐ろしい。
 三成を捨てて、慶次を選ぶ己の姿が脳裏に浮かび、左近はぶるっと身震いをする。自分の心の決め方一つで、己は慶次との恋の悦びに浸り、三成を傷つける道を選んでしまうのである。左近はなんともいえない恐怖を感じた。 (やはり俺は、慶次殿を諦めたほうがいい。そうだ・・・。そうすべきなのだ)
 左近は決意する。
(だが・・やはり・・・。俺は慶次殿が好きだ)
 しかし決意した側から、すぐに迷いが生じ始める。
 自分でも愚かだと思うのだが、どうにもこの恋を捨てきる決断ができない。
「そうだな、いい加減帰らないと殿が心配する」
 左近は未だ揺れ動く心を持て余しながら、そう答え深く息をついた。


「ふう、気持ちいいねえ」
 慶次は笑いながら、左近を見上げた。
 左近は少量の湯を肌にかけては手拭いで汚れを落とし、慶次の身体を洗っていた。
 帰り支度を終えた二人は、最後に身体の汚れを拭ってから帰途に着くことにした。
 最初、慶次は自分で自らの身体を拭いていた。
 だが左近がその手拭いを奪い、慶次の身体を拭きだしたのである。
「そりゃあ、よかった。わざわざ湯を沸かした甲斐があるってものだ」
 左近は慶次に強張った笑顔を返す。
(左近殿、どうしたんだろうか?)
 慶次は心の中で呟いた。
 慶次は帰り支度を始めたあたりから、左近の様子が少しおかしくなったことに気づいていた。
 慶次が話しかければ受け答えもするし、笑いかければ笑みを返してくれるのだが、どことなくぎこちない。もしかしたら左近は、あの「二人だけの世界」云々のことで怒っているのだろうか?と考えたが、さっぱりした性格の左近がいつまでもあのことで怒っているとは考え難かった。
 では、己はあれ以外に左近の気を悪くさせるようなことをしてしまったのだろうか?と考えたがそれも心当たりがない。
「なあ・・・左近殿」
 考えているより訊いてしまった方が早い、と慶次は言葉を切り出す。
 左近は「何です?」と短く答え、慶次を拭く手を休めた。
 真っ直ぐ慶次を見つめてくる視線は、やはり優しかった。
「もしかしたら俺は、左近殿の気でも悪くさせちまったかい?」  慶次が言うと、左近はやや驚いた表情をする。
「いや、慶次殿に気分を悪くなど、俺は全くされていない」
「なら、いいんだが。さっきから左近殿の様子が何かおかしいような気がしたものだから、もしかしたら俺が不快な思いでもさせちまったのかな、と気になってしまってね」
 左近は慶次の目を見て、ふぅっと深いため息をついた。
「気を使わせてしまってすまなかった。実は、ある事に心を奪われてしまってね。それについて考えていただけなんだ」
「ある事?」
「ああ、もし慶次殿が」
 しばらく躊躇った後、左近は言葉を継いだ。
「二人の人を同じくらい好きになってしまったらどうする?・・どちらも同じくらい大切で、離したくないと思っている。二人の内の一人にはもう恋心を打ち明け、契った仲になっている。だがもう一人には、恋心も打ち明けていないし、相手の気持ちも確かめていない。そんな状況だったら、慶次殿はどうする?」
 この左近の言葉に、慶次はハッと閃くものがあった。
『まだ迷っている。殿と・・・慶次殿のどちらを選ぼうかってね』  左近が云った言葉を思い出す。
(もしや・・・左近殿は俺に恋心を持っているのか?)
 慶次は反射的に思った。
 そう考えてみると、左近がなぜこれほど優しい目で己を見るのか、慶次には分かる気がした。
 左近と肌を合わせているときも、戯れに抱くにしては情がこもりすぎている、と訝しく思ったのだ。だが左近が己に惚れているのだと考えれば、まるで恋人を抱くかのように己を抱く理由も分かる。
 このとき慶次は、左近が己に恋慕の情を抱いている、と確信した。
 だが決してそれを口にするまい、と思った。
 左近を恋仲の相手として考えられないからではない。左近のことは好きだ。左近と己の間に恋仲になる支障がなければ、おそらく自分は左近の恋情を受け入れていただろうと思う。
(だが左近殿に、三成を裏切るような真似をさせてはならねえ。それに俺もまだ、孫市に未練があるしな。俺はこんな気持ちのまま、新しい恋を始める気にはなれない)
「そうだな、俺は契った相手を大切にする」
 長い沈黙の後、慶次は言葉を切り出した。
「そうしなければ、おそらく一生後悔することになるからな。契るってことは、相手に誠を誓う。そういう重みがあるものだろ?それを破ることはできない」
 慶次は淡々と言った。
「それはそうなのだが!」
 慶次に正論を言われて、左近は詰まってしまう。
 慶次の言うことは尤もだ。それは分かっている。
 だが単純に割り切ることができないから苦しんでいるのだ。
 左近はそう叫び出したくてたまらなくなる。
「慶次殿の言うことは分かる。だが恋ってのは理屈じゃ計れないものだろ?」
 語気を荒くして言う左近に、慶次は頷く。
「ああ、確かにな。恋は理屈で計れないものだ。己の意志に反して、他の誰かに心を奪われるってのはよくあることだしな。だがそれを理由に、契った相手を裏切ることは許されねえ」
 慶次にきっぱりと云われて、左近は絶句する。
「それになあ、裏切られた相手はどうなる?」
 慶次は低く言った。 「契りを交わした相手が、哀しい思いをしてもかまわないのかい?」
「哀しい思いなどして欲しくない・・・っ」
 左近は悲痛な声で呻いた。
「そうだろ?それが当然の感情だ」
「・・・・・・・っ」
「それになあ、契りを交わしたくらいだ。今もそいつに惚れているんだろ?」
「ああ、惚れている」
 左近はぽつりと呟く。
「相手も左近殿に惚れているんだろ?」
「ああ、惚れてくれている」
 左近は言ってて、三成が時折見せる甘えるような表情を脳裏に思い描く。
「じゃあ、何を迷うことがある?」
 慶次は穏やかに言う。そして左近を優しい眼差しで見つめた。
(慶次殿・・・)
 それは慈愛に満ちた眼差しだった。
 慶次は恋心に気づいている。とっくに知っているのだ。
 左近にはそれが分かった。
「惚れているなら、迷う理由などないだろ?」
 慶次は言って、左近の手を取った。
「契った相手を精一杯愛せばいい。なあ、左近殿」
「精一杯愛する・・・・」
「ああ、そうさ。惚れて、契りを交わした相手を精一杯愛する。それ以上に幸せなことなどこの世にはありはしねえさ」
「慶次殿・・・・っ」  左近は慶次の手を強く握りしめた。
 己の恋心を分かった上で、それでも「三成を精一杯愛せ」と言う、慶次の言葉が胸に痛かった。
「慶次殿」
 こらえきれずに流した涙が頬に零れ落ちる。

この涙は慶次との恋が叶わなかったゆえの涙なのか。
それとも慶次の優しさが心に染みたゆえの涙なのか。
きっとどちらもだ・・・と、左近は思った。



「迷いはなくなったかい」
 左近を静かに見守っていた慶次が穏やかに言った。
「ああ、なくなったよ」
 左近は言って、慶次に晴れやかな顔を向けた。
「そりゃあ、良かった」
 と慶次も晴れやかな笑みを返す。
「それじゃあ、さっさと身体を洗っちまって早く帰ろう。・・・段々、寒くなってきたしなあ」
「慶次殿は、本当に寒がりだな!」
 左近はからかうように言って、冷めかけた湯を慶次にピシャッと浴びせた。
「うひゃあー、冷てえーー! 左近殿、酷えじゃねえか!」
 慶次はぶるっと身体を震わせて、左近に怒声をあげる。
 左近は慶次を指さして、からからと笑った。
 そんな左近を見て、慶次も負けじと冷めた湯を左近に浴びせた。
 互いに湯を浴びせ合い、やがて子供のように取っ組み合いの喧嘩を始めた。
 そしてはたと我に返ると、草と土にまみれた互いの身体を見て、大笑いし合った。
「本当、馬鹿だねえ! また洗い直しだよ」
 と慶次は笑った。
「まあ、いいさ。完全に日が沈むまでには、まだ間がある」
「それじゃあ、鍋に水を入れてくるとするか」  そう言って立ちあがった慶次の腕を、左近は引っ張った。弾みで倒れ込んだ身体をギュッと抱きしめる。
「慶次殿、しばらくこうしていていいか?」
 切なげな左近の声に、慶次は「ああ」と言って微笑んだ。
 慶次殿・・・・。
(胸の奥で、俺だけの秘めた愛として、思い続けるならかまわないよな?)  左近は慶次を抱いたまま、赤く染まった空が次第に暗くなってゆく光景を眺め見た。
 慶次もじっと空を見上げている。
 夜空に星が瞬き始めるころ、二人は楽しかった二日間の出来事を笑顔で語り合い、春日山城へと向かった。