秘め事7

 (どんな顔をして殿に会えば良いのだろう?)
 左近は兼続の屋敷に戻りながら悩んでいた。左近の胸の内は罪の意識でいっぱいであった。
 つい一刻前まで、三成と慶次の間で心を揺らしていたのである。
 慶次が恋情を受け入れていたら、三成を捨てる選択をしていた可能性だってあった。そんな不義の中に身を置いていた己を、左近は激しく責めた。
 なんていやな男だ。
 結果的に三成を裏切ってはいないが、裏切り同然のことをやって置きながら三成のもとに帰ろうとしている己がたまらなくいやだった。
 そして今も慶次のことを愛し続けているということが、左近の罪の意識をさらに大きくしていた。
「そんな俺がどの面下げて殿に会えば良いっていうんだ?」
 左近は苦しい程の罪悪感に嘖まれながら呟く。
 このどうしようもない呵責の念を振り払いたい。そう思った左近の脳裏に、屋敷に戻らず城下町で女郎買いでもしようか、という考えが過ぎる。
 だが即座に、それはあまりに卑怯だと思い直す。
 左近はぶるんと首を振った。
 とてもじゃないがこれ以上の不義は重ねられない。ならば屋敷に戻るしかあるまい。そう決意した左近は、早足で屋敷へと歩き出した。


 兼続の屋敷に戻った左近は、門番に挨拶をされたが挨拶を返す気になれず、無言で中へ入った。
 三成と共に使っている部屋の前まで来ると、左近は「只今戻りました」と声を掛け、襖を開けた。
 三成は膳を前にして一人で夕餉を取っているところであった。
 行灯が灯る薄暗い部屋で、ポツンと一人食事をしている三成の姿は寂しそうに見えて、左近はたまらない気持ちになった。
「兼続殿は、なぜ殿と食事をなさらないのです」
 左近は咎めるような口調で言った。
 兼続を責める筋合いはない。だがいつも鬱陶しいほど三成の側にいる兼続が、よりによってなぜ今三成を一人にして置くのかと思うと、兼続が少し憎らしくなった。
「お前、何を怒っているんだ」
 三成は不思議そうな顔で左近を眺め見た。
「兼続とて仕事があるのだ。ずっと俺の相手をしているわけにはいかない」
 三成は静かに云って、汁物を一口含んだ。
「それより、左近。お前、ずいぶん慶次と仲が良くなったようだな」
 少し弾んだ口調で三成に言われ、左近の胸は苦しくなった。
 三成は左近と慶次が肌を重ねたことをさして、そう口にしたのではない。
 三成の目を見て左近にはすぐに分かったが、どうにも心が落ち着かなかった。
 罪悪の念が波のように押し寄せる。
 左近は咄嗟に三成の前で平服した。
 体中から冷や汗が流れ、なんともいやな気分であった。
 左近は兼続の屋敷に戻る道中、慶次とのことを三成に打ち明けるべきか、黙秘すべきかずっと悩んでいた。打ち明けてしまえば、少なくとも己の不義を隠し通すという罪の意識からは逃れられる。
 だが三成の性格を考えると、打ち明けることが最善のことだと左近には思えなかった。
 己の不義を知っても三成は己を手放さないだろう、という予感が左近にはあった。
 だがそれは、三成が左近を許すからではない。
 左近を許せなくとも、それ以上に左近が必要だと思う気持ちのほうが強いからだ。
 三成はそれほど左近を必要とし、頼っていた。
 それを知っている左近は、己の不義を打ち明けることが、三成に究極の選択を迫り、苦しめることになるのを予知していた。
 三成の性格をよく知る慶次も左近と別れる間際、
「正直になることが、必ずしも良いこととは限らない」
 と言って、三成には話すなと仄めかした。
 左近は三成の前で平伏したまま、押し黙った。
 罪悪の念に押しつぶされ、危うく打ち明けてしまうところであったが、息を飲み口を噤んだ。
「どうした。左近?お前、さっきから様子が少し変だぞ」
 不審そうな声で三成は言った。
 左近は平伏したまま顔だけを上げ、まともに三成を見た。
 そしてじっと己を見つめる三成の顔を見て、左近は慶次とのことを隠し通す決意をした。三成を苦しませることになるくらいなら、己が罪の意識に嘖まれ苦しみ続けるほうがよっぽどましだ、と思ったからである。
「もしかして、慶次と喧嘩別れでもしたのか?」
「いえ、慶次殿とはまた再会を約束して別れました」
「では慶次とは気が合った、ということか?」
「はい。旧友と一緒にいるかのように時間を過ごせました」  左近が平伏したままそう云うと、三成は珍しく嬉しそうな顔をした。
「では、俺の勝ちだな」
 三成に脈略のない言葉を返され、左近は「・・・は?」と惚けたような返事をする。
「実はな、兼続と賭をしたのだ」
「賭を・・・・」
 三成のこの一言だけで、左近は話の大凡のことを推察できた。
 そんな下らないことのために俺は!と沸々と怒りが込みあげてくる。
 だが左近はその気持ちをグッと耐えた。
「では、兼続殿が慶次殿に懸想している、というのは嘘だったのですか?」
「いや、それは嘘ではない。事実だ」
 左近の声に微かな怒りが含まれているのを察した三成は、慌てたように言う。
「兼続が慶次に恋しているのは本当だ。兼続の恋が成就して欲しいと思う、俺の気持ちも本当だ。兼続が一生を共にするのに相応しい男は、慶次以外には考えられないからな」
「それほど兼続殿のことを思っているなら、なぜそれを賭のダシになどしたのです」
 左近の責めるような口調に、三成は一瞬ウッと怯む。
「兼続の恋が成就して欲しいと願うのと同じくらい強く、お前と慶次が親友同士になって欲しいと俺は願っている。だから兼続の恋を叶えるという名目を利用させてもらった。兼続と幸村、そして俺は互いをよく知り、兄弟分の約を交わす仲だ。だが兼続と幸村の親友である慶次と、俺が最も大切に思っているお前の間にはほとんど繋がりがないことを、兼続も俺も日頃から残念に思っていたのだ」
『最も大切に思っている』という言葉に濁されていたが、恋仲であることを示す言葉を三成から率直に言われて、左近の胸は熱くなった。だがそれ以上に心が痛い。三成の好意が今は心の底からこたえた。
「そこで俺は『慶次の恋愛事情を調査する』という動機を作り、それを左近に調査させ、二人が懇意になるきっかけにさせたらどうだろう、と兼続に掛け合った。兼続は最初『そんな馬鹿馬鹿しいことを糸口にするなど!』と言って反対していたが、やっぱり慶次のことが気になったんだろうな。結局、渋々同意した。でも兼続は、俺の計画は上手く行かないと予想していたから、ついでに兼続と賭をすることになった、と言うわけだ」
 左近の心境を知る由もない三成はそう得意げに言ったが、左近の耳にはほとんど入っていなかった。
「左近、お前、俺の話を聞いていないな」
 左近が話を聞いていないことに腹を立てた三成は、ひときわ大きな声で言った。
 ハッと我に返った左近は、慌てて三成に向き直る。
 面は上げているが、相変わらず平伏の体勢を取っていた。
 三成はその左近の顔をじっと睨む。
 左近が話しを聞いていない。それも三成の癪に障ったが、実は左近が二日間留守にしていたことにも腹を立てていた。だがそのことを左近に問いつめたら、女々しい男だと思われかねない。それを気にした三成は、文句を言いたいのをずっと我慢していた。しかし左近に立腹した三成は、この時すでに我慢の限界に達していた。
「ところで左近、お前は俺を放って、二日も慶次と一緒にいたんだろ?慶次と何をしていたのだ」
 三成は責めるように言う。
 三成のこの質問に、左近は顔面蒼白になった。
(もしや、殿はあのことを知っているのか?!)
 左近は戦慄した。体中から冷や汗が吹き出してくる。
 だが己を見つめる三成の視線を見て、左近は三成が己と慶次との間にあったことを何も知らないことに気がついた。
 三成が本当に怒っているときの視線は、もっと鋭く隙がない。
 だが今の視線は甘えるような色を含んでいる。三成は単に、左近に二日間放って置かれたことを不満に思い、慶次に妬いているだけなのだ。それに気づいた時、左近は全身の力が抜け危うく前のめりに倒れそうになった。
 だが左近の呵責の念は一向に消えない。
 左近の顔は相変わらず、蒼白いままであった。
「どうした、左近。お前、ずいぶんと顔色が悪いぞ」
 左近の顔が異様に蒼いことに気づいた三成は、前にあった夕餉の膳を横にずらし左近に近づいた。 「この部屋に入ってきた時から、お前の様子がおかしいと思っていたのだが、まさか風邪でもひいたんじゃあるまいな」
 三成は、ハッと顔を上げた左近の頬に触れた。
 この時、左近の脳裏が一瞬空白となった。
 そして反射的に、三成を組み伏せ、口付けていた。
 あまりの左近の早業に、三成は声を上げることもできなかった。
 もの凄い力で上体を押さえつけ、手はすでに下肢に割って入って来ている。
 三成は思いもかけぬ左近の所業に混乱し、抵抗らしい抵抗などできなかった。
「左近っ・・・・!」
 我に返った三成は身をよじり逃れようとしたが、全く無駄であった。
 三成の力では左近の身体はびくりとも動かない。
 左近は唇を解放すると、三成に囁いた。
「殿、今だけご無礼をお許しいただきたい」
 三成は尚も抵抗し、叫び声を上げかけた。
 だが左近の狂気じみた目に睨めつけられ、声が出せなかった。
 気が付いたときには、三成は身包みをすべて剥がされていた。
 そして引き寄せられるなり、脚を割って入って来た左近に一気に貫かれた。
 強烈な衝撃と苦痛が三成を襲い、三成は悲鳴を上げた。
 その口を左近がすばやく塞ぐ。
 何かが爆発したかのように左近に激しく攻められ、かつてない苦痛が三成を襲ったが、不思議なことに得も言われぬ快感が三成の身の内から湧き起こって来た。
 三成は喘ぎ声を上げ、左近の身体にひしっとしがみついた。
 左近も三成にたちまち溺れた。三成の身体にすがりつくようにして、悦楽を貪った。罪の意識に苦悩する左近にとって、三成は呵責の念の対象であり、また唯一の救いでもあった。


(殿、もう決して俺は貴方を裏切らない。一生お守りすると誓う)
 左近は三成にすがりつきながら、固く決意した。
(だからこの愚かな俺を許してくれ)
 涙を流し、その涙と共に心の底から赦しを求めた。



 翌日の早朝、兼続の使いが慶次の宅にやって来た。
 使いの者は「一刻後に屋敷に訪ねて来るように」との伝言を残して去っていったのだが、慶次はこの時から何か嫌な予感を覚えていた。今までに何度も兼続に呼び出されたことはあったが、こんな朝早くから呼び出されることなど今までなかったからである。
(こりゃあ、兼続。相当怒ってるな)
 そう思うと、慶次の気分は一気に重くなった。
 慶次は左近と肌を合わせた疲労がまだ身体に残っていた。
 久方ぶりの男とのまぐわいは、慶次の身体に予想以上の負担を与えた。
 左近を受け入れた部分が、ズキズキと痛む。さらに発熱しているようで、身体に重い倦怠感があった。
 できれば今日一日寝ていたい気分なのだが、呼び出しされた以上行かないわけにはいくまいと、慶次は大きくため息をついた。

 慶次が兼続の屋敷に着くと、家臣の一人に案内された。
 慶次を案内したこの若者は、慶次を見るなり実に気の毒そうな顔を向けた。その顔を見て、慶次は兼続の機嫌が相当悪いことを察した。
 主人の心の状態は、家中全体に影響を与えるものである。
 兼続の屋敷には、ピリピリとした雰囲気が漂っていた。
「前田殿、こちらへ」
 案内された場所は、いつもの謁見の間ではなく兼続の自室であった。
 慶次はますます嫌な予感がした。
「兼続様は只今外出されていますが、間もなく戻られると思います」
 そう言い置いて案内人が出て行った後、慶次は息をつき、なぜ兼続がこれほどまでに怒っているのか、考え始めた。
 確かに馬駆け禁止通りを松風に走らせるという所行はしたが、それだけで兼続をここまで憤らせることになるとは、慶次には思えなかった。
 上杉家に古くから仕える老将をからかいもしたが、それだってそれほど大したことではないだろう。
 では他に兼続の怒りに触れるようなことをしただろうか?と考えてみたが、覚えがなかった。
 しばらくあれやこれやと思いめぐらせていたが、その内
「考えていても仕方ない」
 という気になり、その場にどかりと胡座を掻いた。そして部屋中の至るところに積まれている書物の中から適当なものを一冊取り、読み始めた。
 間もなく、足音を響かせながら兼続が戻って来た。
 だが慶次は書物を読むのに夢中になっていて、兼続が部屋に入ってきたことに気づかなかった。兼続にスッと書物を取りあげられて、初めて兼続が戻ってきたことに気づいた。
 いつもの兼続なら、ここで挨拶の一つも言い、慶次に茶を勧めてくれるのだが、この日の兼続は無言のまま慶次の前に座り、じっと慶次を見つめただけであった。
 その兼続の視線には悲憤の気が漲っている。
 その視線にじっと凝視され、慶次は蛇に睨まれた蛙のようにその場に凍り付いてしまった。
 兼続は尚も慶次を凝視するだけで、何も言わない。
 沈黙は四半刻ほど続いた。
 そして慶次がどうにももうこの重苦しい雰囲気に耐えられなくなった頃、兼続がぽつりと言った。
「慶次、お前はこの二日間何をしていた?」
 慶次は何を言っているんだという顔で、兼続をまじまじと見つめた。
 慶次は馬駆け禁止通りを駆けた件で、兼続に呼び出されたのだと思っていた。その他に己を叱る理由がいつくかあるとしても、それならそれでもっと率直に言えば良いとも思う。
 その慶次にとって兼続のこの質問は意外なものであり、慶次の気分を損ねるものであった。
 兼続は親友であるが、己の私的なことにまで口を出される謂われはないからである。こんなことを訊いてくるなどいつもの兼続らしくない、と慶次は思っていた。
「何をしていたのかと訊いている!」
 兼続は怒気を含んだ声を上げた。
「左近殿と雉狩りに行った。その時、馬駆け禁止通りを松風に走らせた。兼続はそのことで、俺をここに呼び出したんじゃないのかい?」
 慶次も怒り出したい気分であったが、気を落ち着けて言った。
「ああ、確か本庄殿がそんなことを言っていたな。だがそんなことは大したことじゃない」
 兼続は興味なさそうに呟く。
(大したことじゃないって・・・!)
 兼続の言葉に慶次は驚く。
(その大したことじゃないことで、いつものお前なら延々と俺を叱るじゃないか!)
 慶次はそう叫びたい気持ちに駆られたが、グッと衝動を抑える。
 不要なことを言って、兼続の怒りを買うのは得策ではないと思ったからである。
「じゃあ、兼続はなぜ俺をここに呼び出したんだ?」
 慶次がそう口にすると、兼続はじっと慶次を睨み付けた。
「お前には心当たりがないのか?」
「心当たり?」
「ああ」
 しばらく考えた末、慶次が「ないな」と答えると、兼続は凄絶な視線で慶次を睨め付けた。その凄まじさに、慶次の身体がビクッと震える。
「昨日私は、お前と左近殿が川原で戯れていたとの報告を受けたのだが、それは間違いだったというのだな!」
 兼続は悲痛な声で叫んだ。
 その瞬間、慶次の背に戦慄が走った。
(兼続に知られた!)
 慶次の目が大きく見開かれる。
 慶次は恐怖で、心が凍りついてゆく思いがした。