旅ノ終ワリニ恋ハ始マル2

「この雰囲気、やっぱり最高だねえ。なあ、孫市」
 慶次は笑顔を浮かべながら、何か面白いことはないかと辺りをキョロキョロと見回している。
「ああ、そうだな。やっぱり、祭りはいいもんだな」
 孫市は口の中に入っていた焼き飯を飲み込み、そう返答した。
 祭りを盛り上げるお囃子、提灯に照らされた出店、それを囲む人々の明るい笑い声が飛びかう中を、二人はこれといった当てもなく漫ろ歩いていた。時折、人々で溢れかえった出店をひょいっとのぞき込む慶次の瞳は、嬉しくてたまらないのかキラキラと輝いていた。その手には、つい先ほど出店で買ったイカ焼き、紙袋に入ったきな粉餅とかりん糖が握られている。
(おいおい、慶次の奴、まさかまた何か買い込む気じゃないだろうな?)
 嬉しそうに出店をのぞき込む慶次の顔を見た孫市は、食べ物を詰め込んで膨らみかけている下腹を手でさすりながら、不安そうに慶次を見上げた。
出店の人に勧められるとそれを断り切れない慶次は、食べ物を買うだけ買い、そのほとんどを孫市に押しつける。先ほど饅頭、鶯餅、煎餅、揚出大根、焼き飯を食べ終えたばかりで、この上さらに何か食べさせられるかと思うと、さすがにうんざりした。そんなことを思いながら慶次を見張っていると、案の定、またもや出店の主人の口車に乗せられ、食べ物を買おうとしている。孫市は、小銭入れからお金を出そうとしている慶次の腕を掴み、ぐいぐいと引っ張りながら慶次を店から引き離した。
「あのなあ、慶次。ちょっとは考えて買い物しろよな。お前、今、すでに三つも食べ物を持ってるだろう?せめてそいつを食べ終えてから次の買い物をしたらどうだ?」
 人盛りが少し途切れたところまで慶次を連れてくると、孫市はハァ〜と長いため息をついた。
「だってなあ、そうは云うけど、勧められると買わずにはいられなくなっちまうんだよ」
 無理矢理連れてこられた慶次は、不服そうな表情で腕を組み、孫市を見下ろしている。その慶次の口は、まるで駄々をこねている子供のように尖っていた。
 目の前で口を尖らせている慶次を見ていると、孫市はまるで十やそこらの童を相手にしているかのような錯覚に陥り、頭痛がしてくる気がした。川中島の戦いで軍神の如き戦い振りを見せたあの男と、目の前の男が同一人物であることが俄に信じられなくなる。
(お前、本当にあの時の慶次なのか・・・・)
 そう思ったが、さすがにそれは口にできない。
 だがそう思う孫市には、そんな慶次を厭う心は全くない。むしろその二面性こそが、慶次の魅力であるのだと思う。第一、軍神のような慶次が始終側にいたら、緊張のあまり胃に穴が空いてしまうんじゃないだろうか。それによく見れば、口を尖らせている慶次が何だか可愛く見えてくるから不思議だ。
「だっても、へちまもねえぜ。出店の奴に話しかけられたら、とにかく耳を塞げ。そうだ、それがいい。そうすりゃあ、何を勧められても聞こえねえから、余分な物を買わずに済むだろうさ」
 孫市が名案とばかりに頷くと、慶次は眉間に皺を寄せ実に情けない顔をした。
 その慶次の顔がとても可笑しかったので、孫市はひとしきり大笑いをしていたが、さらなる名案が頭に浮かびポンッと掌を叩いた。慶次に食べ物を買わせないためには、他のことに意識を向けさせればいいのだと気づいた孫市は、さっそく慶次に話を持ちかける。
「そうだ、慶次。今からちょっとした勝負をしないか?」
「勝負かい?そりゃあ、いいねえ!」
 先ほどまでの情けない顔はどこへ行ったのやら。勝負と聞いた慶次はにんまり笑い、何で勝負するのかも知らないうちから、すでにやる気満々である。
「この神社の境内をぐるっと囲むようにして、出店があるだろう? その中に小さな弓で的を射る遊びと、木の杭に輪を投げて引っかける遊び、・・・それと吹き矢で紙風船を射る遊びがあっただろう?」
「ああ、あったな」
「それから、金魚すくいと、銭亀釣りもあったよな?」
 そこまで孫市が云うと、すでに孫市が何で勝負にしようとしているのかを理解している慶次が、にこにこと顔をほころばせる。
「つまり、それらで勝負しようって云うんだろ?」
「ああ、そうだ。弓矢、吹き矢、輪投げ、金魚すくい、銭亀釣りの計五種目で勝負だ。どれからやっても構わない。弓矢、吹き矢、投げ輪はそれぞれ百点。金魚と銭亀はそれぞれ五匹ずつ。それらを達成したら、神社の本殿の裏にある・・・・あのでかい銀杏の木の下まで行くことにしよう。先にそこに着いた方が勝ちだ」
 孫市は説明し終えると、視線で慶次に同意を求めた。

「いいねえ。お前さんの提案気に入ったぜ。・・・・だが、どうせ勝負するなら何かを賭けないか?」
「ああ、いいぜ。俺も、その方が面白いと思うよ。慶次は、賭けたいものがもう決まっているのか?」
 孫市に問われた慶次は、ニイッと唇の端をつりあげて笑った。
「俺はあれを賭けることにする」
「あれって・・・・・ああ、かき氷か?」
 慶次が指をさす方角には、老舗の和菓子屋があり、そこにかき氷の看板が出ていた。この祭りの日のために特別に出しているのだろう。
「ああ、そうだ。なかなか良いだろう?」
かき氷は庶民がなかなか口に出来ない、お菓子としては高価なものである。和菓子屋の前にある席に座ってかき氷を食べている人々は、身なりが良いお金に余裕がありそうな人ばかり。
「そうだな。かき氷なら、賭ける物として不足はないな。では俺も、あれを賭けることにするぜ」
 急に自分もかき氷を食べたくなった孫市は、慶次と同様かき氷を賭けることにした。
 慶次は心得たとばかりに頷く。
「それじゃあ、賭ける物も決まったことだし、さっそく勝負を始めるとするか!・・・・よーい、始め!」
 慶次のかけ声と同時に、二人はもの凄い勢いで走り出した。


「兄ちゃん、ほんっと下手くそだなあ」
 金魚がスイスイと泳ぐ水面を、目を皿のようにして凝視している孫市に向かって、十四、五歳くらいに見える少年が云った。少年は、気が強そうな顔立ちに相応しい乱暴な口調で、孫市の神経を逆なでしていた。
 少年に「下手くそ」と云われた孫市の手には、紙が破れて使い物にならなくなったポイ(紙の膜が貼られた柄のついた輪)が何個も握られている。勝負もいよいよ終盤にさしかかり、残すところ金魚すくいのみとなった孫市。だがその金魚をなかなかすくうことが出来ず、かなり苛立っていた。勝負する種目の中に金魚すくいを入れたのは孫市自身であるが、今は激しくそれを後悔していた。孫市はもう十年以上も金魚すくいなどやっていなかったので、自分が金魚すくいを苦手としていることを、すっかり忘れていたのである。
「あのなあ、お前、さっきから何度も下手下手下手云いやがって。まじで五月蠅いんだよ!」
 子供相手にムキになるなど大人気ないと思う余裕を無くしている孫市は、少年に怒声を浴びせる。
「下手なものを下手と云って、何が悪い!俺はただ思うところを正直に云っているだけだ!」
 だが少年も負けてはいない。怒声を浴びせた孫市に向かって、憎まれ口を叩く。
「お前、ほんっとむかつくガキだなぁ。これ以上五月蠅くしたら、その口縫っちまうぞ!」
「へっ、縫えるもんなら、縫ってみろってんだ!このば〜か!」
「なんだと!このクソガキめ!」
 こんなふうに、少年を相手に不毛な口喧嘩をしていた孫市だったが、それこそ時間の無駄だと悟り、しばらくすると再び金魚すくいに集中し始める。孫市が何も言葉を返さなくなると、少年もまた静かになり、孫市が金魚をすくうのをじっと見守り始めた。
「兄ちゃんは、水中深くにポイを入れて金魚を追いかけるだろう?だから紙がすぐ破れちまうんだ」
 孫市が金魚をすくうところを見ていた少年が、突如口を開く。
「ちょっと見ててみな。こうやって・・・・金魚はすくうというより、引っかけるという感じで、壁際の水面近くにいる金魚だけを狙って取ると、ほら簡単に取れるぜ。ポイは斜から 水面に入れて、水面から一寸以上深く入れちゃだめだ」
 少年は孫市に説明しながら、あっという間に三匹の金魚をすくってしまった。
「お前、本当に上手いなあ」
 つい先ほどまで口喧嘩をしていたことはころっと忘れ、孫市は心底感心して、少年を褒めた。
 孫市に褒められた少年は、照れくさそうに頬を掻く。
「実はな・・・・せっかく褒めてくれたところ悪いんだけど、これ、さっきある人に教えてもらった受け売りなんだよな」
「そうなのか?じゃあ、その・・・お前に金魚のすくい方を教えた奴って、さぞかし上手いんだろうな」
「もう上手いのなんのって。ポイたった一つで、たちまち二十匹もの金魚をすくちゃってさ。しかもその紙が、まだ破れずに残っているんだ。ほんと凄いんだぜ」
 少年はほとんど尊敬しているような面持ちで云った。
「そりゃあ、すげえな」
「だろ?・・・・でさ、その人は金魚すくいの名人ってだけじゃなく、容姿もまたえらく良いんだよな。すっげー格好いいんだぜ。あ、兄ちゃんも黙っていれば十分格好いいけどな。・・・・その人は、兄ちゃんよりさらに背が高くて、それに・・・・」
少年がそこまで説明したところで、孫市は少年が云っている「その人」が誰であるか思い当たる。少年に褒められるくらい容姿が良くて、さらに孫市より背の高い人など滅多にいないからだ。
「金色の髪をしているんだろ?」
「そう金色の・・・・・って、もしかして兄ちゃん、その人のこと知っているのかい?!」
そう叫んだ少年の瞳は、期待で爛々と輝いている。手を胸の前で組み、孫市に徐々にすり寄りながら、全身全霊で“教えて欲しい”オーラを発していた。
(やっぱり、慶次か。ったく、俺と勝負をしてるって時に、ガキに金魚すくいを教えるとは、またずいぶんと余裕をかましているじゃないか!)
 孫市は、自分もまた少年を相手に口喧嘩をしていたことは棚に上げて、心の中で悪態をついた。
「ああ、あいつは一緒に旅をしている相棒だ」
 孫市がそう云うと、少年が孫市を見る目が羨望の色に変わった。
「あの人と一緒に旅をしているのか!兄ちゃん、いいな!うらやましいー」
「まあ、お前ももう少し大きくなったら、誰かと旅をしてみるといい。旅はなかなかいいもんだぜ」
 孫市は、少年が旅をしていることを羨ましいといったのだと思い、そう云った。
「いや、俺は旅をしていることがうらやましいと云っているんじゃなく、あの人と一緒に旅ができる兄ちゃんがうらやましいと云ったんだ。だって兄ちゃん、四六時中あの人と一緒にいるんだろ?それは、すごくうらやましいよ」
「?・・・・・なんであいつと一緒にいる俺がそんなにうらやましんだ?金魚すくいを毎日教えてもらえるからか?」
 孫市は分けがわからず少年に問う。
 すると少年は、孫市を小馬鹿にしているような視線で見て、フンッと鼻で笑った。
「兄ちゃんって、見かけによらず、結構色恋沙汰に疎いんだな・・・」
(色恋沙汰だって?いきなり何を言い出すんだ、このガキは・・・・)
 なぜここで、少年が色恋沙汰なんていう言葉を持ち出してきたのか、孫市はさっぱり解らない。・・・・ったく、脈略のない話なんかいきなり始めるなよ!と思ったが、とりあえず話を続けることにする。
「お前、恋してるのか?」
 孫市はとりあえず、少年に云ってみる。
「ああ、そうだ」
 目元をぽっと赤くしながら、少年は答える。
 孫市は、誰にだ?と思ったが、さっきの話の前後から、慶次しかないよな?と考える。
「まさか・・・・・慶次にか?」
「・・・・けいじ?」
 それは誰だ?と云いたげな顔をする。
「慶次ってのは、お前に金魚すくいを教えた奴の名だ」
「あの人の名前、けいじっていうのか?」
 少年はそう叫んだあと、けいじかぁ・・・・けいじって・・・・いうのかぁ・・・と、しばらく呟いていた。
その少年の顔は、恋をする乙女のように上気している。
(こいつ本気で、慶次に懸想しているのか!!??)
「お前、まさかとは思うが・・・・慶次に惚れているのか!?」
 孫市はほとんど叫ぶように云った。
 少年はコクリとうなずく。
「男が女を好きになったり、女が男を好きになったりするような意味で、か?」
 孫市がそう訊ねると、少年はしばらく思案したのち、こう答えた。
「よく分からないけど、・・・・・たぶんそうだと思う。だって父ちゃんや兄貴を好きってのと全然違うんだ。もっとこう胸がドキドキするような感じなんだ。・・・・・俺はあの人を見た瞬間、好きになってしまった。一目惚れしちまったんだよ!俺は本気であの人のことが好きなんだ!」

(なーにが、一目惚れしちまった、だよ!このませガキが!)
 孫市は、とてもイヤ〜な気持ちになった。胸がもやもやする。なぜだか分からないが、少年が慶次のことを好きだとか、慶次に一目惚れしただとか云っているのを聞いた瞬間、とても不愉快な気持ちになった。少年が慶次に惚れていることが、気にくわないのだ。
 そして、少年が慶次のことを本気で好きなのだとわかった今、孫市の中で少年への対抗意識がふつふつと沸き起こり始めていた。
 これ以上、慶次のことをこいつに話してなるものか!と孫市は思った。
(絶対こいつを慶次に会わせてはならないな。今度会ったら、こいつ何を慶次に云い出すか分かったもんじゃない。まだ金魚を全部すくえていないが、そんなことは構わない。とにかく、慶次のことを根掘り葉掘り聞かれる前にここからずらかることにしよう)
 そう決心した孫市は、少しでも速く走れるように、金魚すくいの店の人に金魚を全部返してしまう。そして、我ながら子供相手に汚いことをしようとしているな・・・と思いながらも、少年に一言
「悪いな。俺そろそろ帰らなきゃなんねえから。じゃあな」
 と云ったかと思うと、銀杏の木に向かって全速力で走りはじめた。