旅ノ終ワリニ恋ハ始マル3

 馬をぱかぱかと歩かせながら、孫市は渋い顔で前方を睨み付けていた。
 今夜は、慶次と過ごす最後の夜である。明日の午前中には、大和国に入り、そこで慶次と別れなければならない。孫市はもうずいぶん前から、慶次と過ごす最後の旅の夜は、月と蛍を肴に酒でも酌み交わしながら、一晩中語りあかそうと計画をしていた。それなのに何の因果でこんなことになっているのか、孫市はさっぱり要領をえない。
 孫市の二間(約3.6m)ほど先には、慶次を乗せた松風が歩いている。慶次がいるのは良い。気に入らないのは慶次の前に座っている、あのクソガキだ。そもそもあのガキに昨夜会いさえしなければ、俺の計画は達成されるはずであった。そう思うと孫市は無性に腹が立った。慶次と何を話しているのか知らないが、時折聞こえてくる笑い声さえも気に障る。孫市はその度にチッと舌打ちをした。
 孫市はあの時、完全にあの少年を撒けたと思った。だから油断してしまったのだ。


 孫市が和菓子屋の前の椅子に座り、慶次と一緒にかき氷を食べていると、突如あの少年が目の前に現れた。そしていきなり孫市にがばっとしがみついたかと思うと、
「兄ちゃん、俺を置いて行くなんて酷いじゃないか!」
 と半べそになって文句を云って来たのだ。絶対嘘泣きに決まっていると思った孫市は、とっさに追い払おうとしたが、孫市の周囲にいた大人達が、孫市をまるで極悪人を見るかのような視線で見ては、
「子供を置いて行くなんて、全く酷い人だねえ」
 などとひそひそと云い合っているのが聞こえたので、さすがの孫市も追い払うことができなかった。
 仕方がないので、渋々自分の隣に座らせることにした。
「あれ?・・・・どうも見覚えがあると思ったら、この子は、俺が金魚すくいのところで会った子だぜ。・・・お前、この子と知り合いなのか?」
 少年が孫市の隣に座るのを見ていた慶次は、かき氷を食べていた手を止め、孫市にそう訊ねた。
「いや、知り合いってわけじゃないが、俺もこの子と金魚すくいのところで会ったんだ」
 孫市は、かいつまんでその時のことを話す。
「・・・・・ってことは、つまり、俺がこの子に教えた金魚すくいの極意を、さらにこの子がお前に教えたってわけかい?そりゃあ、面白い縁だねえ。この子も、お前に教えられるほど 上手くなったんじゃ、もう金魚すくいの名人だ。なあ」
 慶次がそう云って、少年の頭を撫でると、少年はあからさまにポッと頬を赤く染め、小さくこくりと頷いた。
 それを見た孫市は激しくムッとした。
(何しおらしくなってるんだよ!)
 とつっこみを入れたくなる気持ちをぐっと耐える。
 孫市が、必死に耐えていると、またもや孫市の神経を逆なでするような会話が聞こえてきた。
「俺の食いかけで良かったら、お前、かき氷食べるか?」
「わーっ!ありがとう。兄さん、優しいんだね」
 少年は満面の笑顔でそう云うと、にこにこと笑っている慶次からかき氷の入った器を受け取った。
 その場面を見ていた孫市は、今度こそプチーンと、頭の血管が切れるような音がしたのを聞いた。
(それは、俺が慶次のために買ったかき氷だっつーの!)
 お前は、かき氷が食えることが嬉しいんじゃなくて、慶次の食いかけのものを食えるのが、嬉しいんだろ!内心、キャー間接接吻なんつって喜んでいるんだろ!そうだ、絶対そうに決まってる!!
「慶次、やる」
 かき氷の器を慶次の手に押しつけながら、孫市は云った。
「・・・・は?」
 突如、かき氷を押しつけてきた孫市に、慶次は不思議そうな顔を向ける。
「俺の食いかけのかき氷だが、やるから食え。なっ」
 孫市はワザと「食いかけ」の部分を強調して云った。
「いや、俺はもう・・・・・」
「とにかく食え。全部だ。一滴も残しちゃだめだぞ」
 分けの分からない圧力で押し切られるように、無理矢理かき氷を受け取らされた慶次は、首をかしげながらも匙を口に運び始めた。
 慶次がかき氷を食べ始めたところを見計らって、孫市は身体をずらし慶次に密着するように座り直す。そして少年に、慶次と自分の仲の良さを見せつけるように、慶次の肩に腕をまわした。
 慶次は一瞬だけ「おや?」という表情をしたが、
「なんだ、また食べたくなったのかい?」
 などと云って匙でかき氷をすくって孫市の口に入れた。これには少年だけでなく周囲の人々の目も惹きつけられた。只でさえ目立つ二人が、ただならぬ仲である雰囲気を醸し出しているのだから、人々の興味を駆り立てないわけがない。人々は不躾に、好奇の眼差しを二人に向け始める。
(こいつら、俺たちをおホモ達だと思っちゃっているんだろうな。ま、そう間違えられちゃうくらいに仲良く見える方が、今は都合がいいけどな)
 慶次と自分の間に割り込んでくることは不可能だと思わせて、少年を追い払うのが孫市の狙いである。その計画が効を成しているのか、少年は二人を苦々しい表情で見つめていた。
「そういや、お前、名前なんていうんだ?・・・・俺は、慶次っていうんだ。で、こいつは孫市」
 慶次が少年にそんなことを云ったのは、孫市がそろそろ帰ろうと思っていた時であった。孫市は内心チッと舌打ちをする。慶次の奴、なんちゅう余計なことを云い出すのかと思う。つくづく間が悪い。
 孫市がそう思っていると、少年は意外なことを云いだした。
「えっ、兄ちゃん、孫市っていうのか?!」
 少年は心底驚いたように、そう云った。
 自分の名を聞かれたことは、すっかり忘れているようだ。
「ああ、そうだが・・・・それが?」
 孫市は、少年が自分の名前に異常に反応したことを怪訝に思い、問い返す。
「・・・・まさか、雑賀衆の孫市様か?鈴木佐太夫様のとこの?」
 これには、孫市が驚いた。
「なぜ、お前がそんなことを知っている?!」
 するとこれまた驚いた表情をしている少年が答えた。
「俺の父ちゃんと兄貴は、雑賀衆の一員だからです」
 この時孫市は、世間とは狭いものだ、とつくづく思った。
 たまたま行った祭りでたまたま出会った子供が、雑賀衆に縁がある人間だなんて世間が狭い証拠だ。
 聞いてみればこの少年、名は清四郎と云って、歳は十二。所用のため伊勢に行くことになった叔父にせがんで、無理やりくっついて来たのだという。だが三日前叔父とはぐれてしまい、帰るに帰れなくなってしまったらしい。念のためにと父親から渡されていたお金があったから、野宿せずに済んだと云うが、それにしてものんきに祭り見物などしているとは、なかなかに肝が据わった子供だ、と孫市は思った。
 だが肝が据わっているとはいえ、子供は子供だ。
 気にくわない相手だからといって、そのまま捨て置くことはできない。それに何より、慶次がすっかりこの少年を気に入ってしまったのである。とにかくそんな縁で、孫市は本当に渋々嫌々ながら、少年を雑賀まで連れて行くはめになってしまったのであった。



「清四郎、俺と一緒に湯を浴びに行くかい?」
 旅籠について、荷物を部屋に下ろし終えると、慶次は清四郎を湯浴みに誘った。
 この誘いに、慶次にぞっこんの清四郎が乗らないわけがない。
 だが孫市はそれを阻止した。
 清四郎が頷いたのと、孫市が「駄目だ!」と叫んだのはほぼ同時であった。
 この時孫市は、無性に腹が立っていた。一日中、慶次を独占したあげく、湯浴みにまで一緒に行こうとしている清四郎に腹を立てていたのである。
 孫市は旅の間中一度も、慶次と一緒に湯浴みに行ったことはなかった。
 旅籠は結構物騒なところである。何度か利用して、客と旅籠の主人との間に信頼関係が築かれているような場合でなければ、安心して貴重品を預けることもできない。下手に預けて、だまし取られるということなど日常茶飯事なのだ。だから部屋に貴重品がある時は、常にどちらかが部屋に残って見張っていなければならない。蒸気や湿気に弱い鉄砲や槍、刀などを持って湯浴みなど行けないから、必然的に慶次と孫市は代わる代わる湯浴みに行くことになる。自分でさえ慶次と湯浴みなど行ったことがないのに!と思うと、孫市は怒りが沸々と込みあげてくるのだ。
 だが、清四郎に慶次を独占されたり、慶次と清四郎が湯浴みに行こうとしていることに、なぜ自分がこれほどまでに腹を立てているのかは、孫市自身にも分からなかった。もし慶次以外の友人が、誰かに独占されたとしても、自分はそれほど腹を立てないだろう、と孫市は思う。だが慶次が誰かに独占されるかと思うと、無性に腹が立ち、苛々し、胸がムカムカするようなイヤ〜な気持ちになるのだ。
「駄目だ!」
 腹を立てていた孫市は、再び大声でそう叫んだ。
 孫市があまりに大声で、しかも二度も云うものだから、さすがの慶次もこれには、ぎょっとする。
「そんなにムキになるなんて、孫市、お前らしくないねえ。そんなに大声で云わなくても、お前の云っていることは清四郎にちゃんと伝わるさ」
 慶次は祭りのあった日の夜あたりから、孫市の神経が過敏気味になっていることに気がついていた。だがその原因まで、慶次には分らなかった。
 孫市でさえよく分からないのだ。慶次に分かるはずもない。
「お前は、長旅でちょっと疲れているんだ。この不自由な生活も、もうちょっとの辛抱だ。あと数日で終わるから、な。」
 慶次は、孫市が神経過敏なのは、旅の疲れと生理的欲求が溜まっている所為だと考えていた。そう云えば、もう十日くらい、孫市も自分も女を抱いていないのだ。これでは孫市が苛つくのも無理はない、と慶次は思った。だが慶次の云ったこの言葉が、かえって孫市の神経を逆なでしてしまった。
「それは、俺といると不自由だって云いたいのか?早くこの不自由な生活が終わって欲しいって思っているのか?俺と旅をしていたんじゃ、好きなときに女を抱くってわけにはいかないからな!」
「孫市!口を慎め!」
 慶次は、鋭く叱声した。
 もしここにいるのが孫市だけだったら、慶次もここまで激しく叱声しなかっただろう。
 しかし今は清四郎がいるのだ。
「・・・・・俺は、そういう意味で云ったんじゃねえ。お前といることが、不自由だって云っているんじゃねえぜ。旅ってのは、そもそも不自由なものだろう?俺は、お前との旅が早く終わって欲しいなどと考えたことは、一度もねえよ。お前に誤解を与えるような云い方をしちまって、すまなかった」
 慶次に謝罪され、孫市は「いや、お前が謝る必要はない」と云って頭を振った。
「この件は完全に俺が悪かったんだ。苛ついていたものだから、心にも無いことをいって、お前に嫌な思いをさせてしまった。すまなかったな。お前のいう通り、俺はちょっと疲れているのかもしれないな」
 慶次に云ったことは、完全な八つ当たりでしかない。
 慶次がそんなことを思うような男でないのは、孫市だって良く分かっていたことだ。
 孫市は自分が慶次にあんな暴言を吐いてしまったことを、深く後悔していた。


「ああ、俺はほんとまずいことを云っちまったよな」
 孫市はため息をついた。
 あの後、慶次に気分転換を勧められて旅籠から出てきたのだが、湯浴みをし終わった後、傾城屋がある界隈を歩いて見ても、気分がウキウキするどころか、出てくるのはため息ばかりである。
 孫市は酷い自己嫌悪に陥っていた。
 慶次にいった言葉。あれは本当にまずかった。
「気にするな。俺も悪かったんだから。なっ」
 慶次はそう云って笑ってくれたが、間違いなく俺への印象は悪くなっただろう,、と孫市は思う。
(それにしても、なぜ俺は慶次のこととなると、こんなにも感情的になってしまうのだろう?)
 考えてみれば、清四郎が慶次と湯浴みに行くことなど、どうってことない些細なことだ。いくら清四郎が慶次に惚れているといったって、十二の子供が慶次をどうこう出来るわけでない。
 それに、だ。
 そもそも、慶次は俺の友人だ。そいつが誰から惚れられていようが、誰と恋仲になろうが、俺がいちいちそれに干渉したり、目くじらを立てる筋合いはない。それなのに俺は、まるで自分の女が他の男から惚れられたり、他の男に取られそうになっているかのような腹立ちや、苛立ち、焦りを感じている。
 そこまで考えが巡り、孫市はハッとした。
(まさか俺は、そういう意味で慶次と清四郎に嫉妬しているのか?!)
 自分の思いついた答えに、孫市はガーンと打ちのめされた。
(う、う、嘘だろ?!俺が慶次と清四郎に嫉妬している?)
 いや、断じてそんなことは無いはずだ!第一、俺は男と恋愛する趣味はないぜ!抱くなら、柔らかくて良い匂いのする、女の方が断然良い。男なんて抱いても味気ないだけだ。ま、仮に、どうしても男を抱かなければならないなら、信長んとこにいる、あの蘭丸くらいの美少年じゃないと、勃つ物も勃たないぜ。蘭丸とまるで正反対の漢の中の漢みてえな慶次の裸なんか見たって、欲情できるわけが・・・いや、慶次なら悪くないかもしれないぞ。あいつ色が白いから、湯浴みの後に肌が桃色に染まっているときなんか、案外色っぽいもんな・・・。
(じゃねえよっーーー!!!俺ってば、何思っちゃってるんだ?!俺は、馬鹿か?)
 道のど真ん中で、こんなふうに自己問答しては、ウンウン唸っていた孫市であったが、一瞬でも、慶次なら欲情できるかも・・・・と思ってしまった自分に、激しいショックを受けていた。
(あまりに溜まりすぎて、ついに脳ミソまでイカれちゃったのかもしれないな。きっと、そうだ。女を抱けば、脳ミソが正常に戻って、慶次に欲情なんて気は起こさなくなるに違いない)
 孫市はそう結論づけると、傾城屋がある方角へと足を向けた。