虎ノ尾ヲ践ム2
一方の慶次は、顔を真っ赤にして体を震わせている孫市を見て、怪訝な顔をしていた。
慶次は目の前の友人が自分に対して恋心を持っているなどとは、露ほども思っていなかった。大切な友人、親友だと思っていた。慶次は孫市が京に来るのを楽しみにしていたし、京まで自分を訪ねて来てくれる孫市の気持ちが嬉しかった。
慶次は自分からも孫市を訪ねて雑賀庄に行ってみたいとは思っているのだが、行くことができない事情があった。
叔父の利家から堅く禁じられてるのだ。
利家は、慶次が孫市と会うことさえも良く思ってはいない。
つい二週間ほど前にも、わざわざ慶次の家まで来て「もう雑賀孫市と会うな」と云ってきた。慶次がそれを突っぱねると、利家は凄みを利かせた声色でこう云った。
「お前と雑賀が会う時はその言動を見張らせる。信長公から在らぬ誤解を受けるようなことだけはするんじゃねえぞ。頻繁に会うのも駄目だぜ。極力最小限にしろ。それが俺の精一杯の譲歩だ。だが、慶次郎、お前が雑賀に行くことは絶対に許さねえ。行ったとしたら・・・」
その時の叔父の残虐な表情を思い出し、慶次は嫌な気持ちになった。
わずかな時間、慶次の意識はそちらへ飛んでいたが、すぐに思い直し
「なぁ、これから風呂屋にでも行かねえかい?」
と孫市に声を掛けた。
「ふ、風呂屋か?」
そう云う孫市は、先ほどよりさらに顔を赤くし、狼狽しているように見えた。
「ああ。この近くに新しく風呂屋ができたんだが、かなり評判が良くてなあ。一度行きたいと思っていたところなんだが、孫市、どこか具合でも悪いのかい?」
孫市の呼吸は乱れ、目まで潤んでいる。
やはりこのところ孫市の様子はおかしい、と慶次は思った。
慶次は、もう何ヶ月も前から孫市の態度が変わったことに気がついていた。
以前はよく肩などを組んで歩いたり、時には子供がするような取っ組み合いの喧嘩をしたものだったが、最近では孫市の体に軽く接触しただけで、何ともいいがたい奇妙な表情をするようになった。
自分に気安く触れられるのが嫌なのだろうと思い、それからはなるべく孫市に触れないように気を使ってきた。
だが少し寂しい気がする。
孫市は、いまだ子供っぽいところが抜けきれない己の行動につき合ってくれる数少ない友人であった。
「いや、具合が悪いわけではない・・・だが」
「・・・だが?」
「だが・・・風呂屋は・・・つまり、なんだ・・・は、裸にならなきゃなんねんだろ?」
酷くしどろもどろになって、孫市は云った。
慶次は、裸になるとかならないとかいうことに、今更こだわっている孫市に瞠目する。
「そりゃあ、まあな。裸にならなきゃ、話にならねえわな。でも、何もすっぽんぽんにならなきゃなんねえってわけじゃねえよ。褌はつけたままでいいんだぜ」
だが、冷静を装いそう云った。
(孫市は本当にどうしちまったのかねえ)
慶次の目に不安が宿る。
「いやな、俺はなにも無理に風呂屋に行こうって云っているんじゃねえよ。ただ、風呂屋に行ってさっぱりするのもいいんじゃねえか、と思っただけだ。湯女も美人揃いだって聞いたしなあ。だが、お前さんの気が乗らねえっていうなら、別に断ってくれてかまわねえ」
慶次は自分が孫市に無理強いをしてしまっているような気がして、慌てて云った。
「美人の湯女か。・・・・それも、いいかもしれないな」
おそらく断るだろうと思っていた慶次の予想に反し、しばらく思案したのち孫市はそう答えた。
それを聞いた慶次の眉が、悪戯っぽく跳ねた。
「そうか?・・・じゃあ、行くとするかい?」
湯女というところに見事に反応した孫市に思わず苦笑した。
慶次は嬉しくてたまらなくなった。
最近、孫市の様子が変わってしまったことに寂しさを感じていた慶次は、自分がよく知る孫市を確認できたような気がして嬉しかったのだ。
蒸気の向こう見える白い裸体。
長い淡金色の髪を無造作に高く結い上げ、首筋を露わにしている。
その首筋にかかる後れ毛も、上気して桜色になった頬も、濡れた唇も、慶次のすべてが色っぽい。
孫市の目には、どんな美女よりも慶次が妖艶に見えた。
だが、愛しい男の眩しいほどの裸体を目の前にして、それに触れることも、褌の下で主張している己のものも慰めることができない。まさに拷問である。
孫市は、慶次から風呂屋に行こうと誘われたときから、自分がこうなるのではないかと予想していた。だから、風呂屋などに行くべきではないと思い、最初は断ろうと思った。よりによって、風呂屋などに誘う慶次の無邪気さを少し恨めしくも思った。
だが正直なところ、堂々と慶次の裸体を見られる絶好の機会を逃したくないという気持ちも強かった。そして、慶次の裸体を見たときに起こり得る危険と、慶次の裸体を見たいという欲望を天秤にかけたとき、慶次の裸体を見たいという欲望に軍配が上がったのだ。
湯女もいることだし、どうしても興奮が抑えられなくなったら、代わりに湯女を抱けば良いと安易に考えていた。
だが、脱衣所で慶次が野袴を脱ぐ姿を目にしたときから、孫市の目は慶次に釘付けになってしまった。芸術的ともいえる、慶次の臀部から下肢にかけての美々しい姿形に見とれ、美人ぞろいの湯女たちにも目が行かなくなってしまった。
さらに、褌の上からでも輪郭がわかる慶次のものを目にしたときには、まるで視侵でもしている気になるほど、舐め回すように見てしまった。
孫市が、あまりにも露骨にそこをじろじろと見つめているものだから、その大きさに驚いているのだろうと勘違いした慶次は、
「これを初めて見た人は、大抵驚くんだよねえ」
と云って、照れくさそうな顔をしていた。
慶次がそんなことをいうものだから、孫市は反射的に、慶次のそこが勃起したらどれほどのものになるだろうか、と想像してしまった。
あのときから、すでに下腹に疼きを感じ始めていたのだ。
せめて、あの時引き返していればこんなことにならなかった、と後悔している。
慶次の裸体を見られたこと自体は全く後悔していない。
念願していたものが見られたのだ。こんな状況下でなかったら、滅多には拝めないものを拝めた自分の幸運さを天に感謝したことであろう。
(だが、今はまずい、本当にまずい)
下腹から疼いてくる熱に、孫市は泣きたくなった。
そんな孫市の苦労も知らず、慶次は鼻歌まじりに歌など歌いながら、上機嫌で身体を洗っている。ちょうど腿の内側を擦っているために、足を大きく開いている所為で、褌の布に包まれた股間の部分がよりくっきりと見えた。
濡れた布が陰部にぴったりと貼りつき、竿の部分だけでなく二つの果実の形まで露わにしている。
なんとも色情的な眺めであった。
慶次は、そんな孫市の情欲を煽るような姿を見せつけながら、その姿に不釣り合いな子供のように無邪気な笑顔を向けては、時折嬉しそうに話しかけてくる。
(慶次、そんな無防備に笑顔など向けるな!俺は、お前を食っちまいたいのを必死に抑えているんだぞ!)
孫市は、心の中で叫ぶ。
今の孫市には、慶次の話に相槌を打つのが精一杯であった。
少し油断をしただけでも、慶次の色香に煽られ、己の一物はぐぐっ勃ちあがってしまいそうなのだ。もう、すでに限界に近い。
それでもなんとか持て余す欲情をねじ伏せようと、目をつむる。
とっさに頭に浮かんだ「大無量寿経」の一節を唱え、下腹に集中する疼きを紛らわそうとする。だが、努力も空しく一向に効果がない。
己の意志に反し、慶次の上気した顔、白いうなじにかかる淡金色の後れ毛、艶やかな濡れた肌、胸を飾っている桃色の小さな突起、布に浮き出た陰茎の輪郭、きゅっと形よく上がった臀部などが脳裏にちらつき、そこはますます猛り狂ってくる。
(もう、だめだ!)
そう思った瞬間、孫市は勢いよく立ちあがり、慶次が何事かを叫ぶ声を背に、夢中で脱衣所へと疾走した。
※この小説に出てくる前田利家は「決戦V」の利家です。
この小説を書いていたときは、まだ戦国無双に利家は登場しておりませんでした。決戦Vは戦国無双と関連があるので登場させています。利家はこのお話の最後あたりでまた登場します。