虎ノ尾ヲ践ム6

「お前を後悔させない。愛しているんだ、慶次・・・・・!」
 慶次からの了承を得るや否や、孫市はあっという間に慶次を引き寄せて、ぎゅっと抱きすくめた。そのまま慶次を畳に押し倒すと、首筋に唇を這わせながら、浴衣の帯に手を掛ける。
 孫市がこれほど急性に事に及んでくるとは思っていなかった慶次は、慌てふためき、孫市を押しのけて逃れようとした。だが慶次の腕に巻き付いている腕は恐ろしく強く、慶次の力でもなかなか逃れることができない。
(なんなんだ、この力は!)
 孫市のどこにこんな力があったんだと慶次が驚いていると、それまで慶次の首筋に舌を這わせていた孫市が顔を上げ、慶次を鋭く睨みつけた。
「なんだ、今更、拒否するっていうんじゃないだろうな?」
 孫市は凄みを利かせた声色で云う。
「いや、そうじゃねえ。事に及ぶ前に、お前に云っておかなきゃなんねえ大事を思い出してなあ」
 慶次がそう云うと、孫市はあからさまに不機嫌な顔になった。
「実はなあ、お前と俺が同衾したら、それが信長にまで筒抜けになる可能性があるよ、ってことを前もって知っておいてもらわなきゃなんねえことを思い出したのさ」
「はあ?信長?なんでここで信長が出てくるんだ?!・・・ったく、信長なんて、お前が無粋なことを云うから、おかげで、一物が萎えちまったじゃねえか!」
 孫市は忌々しげに云い、ちぇっと舌打ちをする。
「俺だって好きでこんな話を持ち出したんじゃねえんだ。そんなに怒るなよ。・・・じゃあ、話を続けるぞ。信長公は、お前と俺が手を組んで、何かやらかすんじゃねえかと警戒している。あの人が一番危惧しているのは、俺が雑賀衆の一員になることと、雑賀衆が伊達家と同盟を結ぶことだ。俺は織田家を出奔した身とはいえ、織田家の内部事情に通じている。その俺と、雑賀衆を率いるお前と、政宗が手を組んだらどうなると思う?信長公にとって、これ以上に無い強敵になる。だから叔父御は、お前と俺が京で会うことさえ野放しにできねえと、先々週はわざわざ家にやって来て、俺を脅してきた。俺が『孫市との付き合いを止めるつもりはねえ』と云ったら、叔父御は『お前と雑賀が会う時はその言動を見張らせる』と云ってなあ。だがそうはいっても、それは真に受けない方がいい。叔父御は俺たちを見張るだけでなく、もしかしたら命を狙う心づもりがあるかもしれねえ。今はこの座敷に忍びはいねえようだが、そんなわけで、いつ忍びが来るかもしれねえ状態だ。同衾の最中に忍びが来たら、その時のことまで信長公の耳に入ることもあるよ、ってお前に云っておきたくてなあ。耳に入るだけならいいが、その場で殺される可能性もあるぜ。最初から、隙を見て俺たちの命を狙うつもりだったのならなおさらだ。お前と俺が同衾しているとき以上に、二人を一遍に片付けるのに都合が良い機会なんてめったにねえからなぁ」
 慶次はそんな話を、他人事のように淡々と語った。
「それでも、お前の、俺と同衾するっていう意志は変わらねえかい?」
 孫市の目をひたっと見つめ、再度確認するように慶次は訊ねた。
 孫市にとって慶次の話は、予想外のものというわけではなかった。
 あの信長なら、慶次と自分が手を組むことを警戒するのは当然であろう。
 だがさすがの孫市も、慶次に忍びを付けて、その言動を探らせるという行為にまで及ぶとは考えていなかった。忍びに直接命を下しているのは、慶次の叔父、利家である。
 それはすなわち、利家が甥の慶次にわざわざそのようなことをしなければならないほど、信長は警戒心を強くしている、ということの現れであるとも云えるだろう。
「俺はそんなことで、お前と媾える機会を逃す気などさらさらないぜ。お前、もしかしてそんな理由で俺が諦めるとでも思ったのか?だとしたら、残念だったな」
 孫市がからかうように云うと、慶次は、そんなんじゃねえよ!と喚いた。
「俺は自分の意志で織田家を出奔してきた。だから、それがもとで俺が殺されるのは構わねえ。だが、お前がそれに巻き込まれるのは気分が悪い。俺はそれが許せねえのさ」
 子供のように口を尖らせ、むきになって云い募る慶次。
 孫市はそれが可笑しくてたまらなかった。可愛い奴だとも思う。
「心配するな、慶次。俺はそんな簡単に殺されるつもりもねえよ。それになぁ、お前と同衾している最中に、お前と一緒に殺されるっていうのも悪くない死に方だと思うぜ。できたら、あの世に行ってもお前と離れないように、身体を重ねたまま槍で串刺しってのがいいなあ。槍の刃が俺の背中から入り、俺の心の蔵とお前の心の蔵を貫ぬいて、お前の背中を突きぬけるって考えると、なんだか耽美的でゾクゾクするぜ。なあ、あの世に行っても続きをやろうぜ」
 孫市は云って、慶次の臀部をいやらしい手つきでしつこく撫でまわした。
「ずいぶんと手癖が悪いねえ」
 慶次はうんざりしたように云うと、孫市の額をピシッと強く叩いた。
「痛いじゃねえか!お前、本気で叩いたな!」
「自業自得だろ?それになぁ、俺はお前の意見には、ちっとばかし同意しかねるぜ。重なったまま槍で串刺しにされたら、あの世で媾いたくても、身体が動かせねえんじゃないのかねえ?」
 そんなことを大真面目な顔で云って来る慶次に、孫市は心底呆れた。
「お前って、ホント、妙なところで現実的だよな。ロマンが分からない男は女に嫌われるぜ」
「ろまん?一体何かねえ、その『ろまん』っていうのは?」
「従兄弟によると、南蛮の言葉らしいぜ。まあ、いいんだ、そんなことは。それより、俺が云いたいのはなぁ・・・」
 二人はしばらくそんな軽口をたたき合っていたが、
「ところで、お前、得物は今どこにある?」
 と孫市がふと口にしたことで、両人、はたと現実に帰る。
「今日お前に会って、こんなことになるとは思ってもみなかったからねえ。脇差があれば十分だと思って、槍は家に置いてきちまったよ。とは云っても、その脇差も風呂屋の番頭に預けてあるから、ここにはねえがな。・・・孫市、お前は?」
「俺も愛用の銃は、馴染みの旅籠の親爺に預けてきてしまった。小型の銃があるにはあるが、そいつはお前と同様、風呂屋の番頭に預けてある。まあここにあったとしても、その銃だけでは威嚇するのがせいぜいで、大して役に立たないと思うがな」
 孫市の言葉を受けて、慶次はしばらく思案していたが、やがて結論を下したように頷くと、
「お前と同衾するのは、やはり、俺の家が一番良いかもしれねえな」
 と呟いた。


 慶次の住居は、京の中心街から離れた場所にあった。
 孫市が慶次の宅に来たのはこれが初めてである。竹林の中にひっそりと立つ家屋は大きいものではないが、所帯を持たない男と一頭の馬が住まうには十分なものであった。
 二人は家に着くと、さっそく敵を向かい打つための準備を始めた。
「なあ、孫市。この鉄砲は使い物になるかい?」
 慶次は床下の武器庫から一丁の鉄砲を取り出すと、孫市に問いかけた。
「見せてくれ。・・・ちょっと古い型の銃だな。だが、手入れをすればまだ十分使えると思う。この銃の口径に合わせた弾も作っておいたほうがいいな」
 鉄砲の弾を作っていた手を止め、孫市はそう答えた。
「もう俺の武器は磨いてあるし、俺がしなきゃなんねえことは大してねえから、お前が指図してくれりゃあそっちを手伝うよ」
 それを聞いた慶次はそう提案する。孫市は頷いた。
 それからもくもくと作業をこなした二人は半刻ほどして準備を終え、この住居の一番奥の部屋に移動した。
 何か異変があれば、一早く松風が気づいて知らせてくれるはずだと云う慶次の提案で、厩に一番近いこの部屋で敵が現れるのを待つことにした。
 酉の下刻(午後7〜8時)を回りすっかり暗くなった部屋を、蘭物のカンテラが明々と照らしている。
 二人は慶次が作った握り飯を手に、カンテラの明かりの下で打ち合わせを始めた。
「俺の銃剣と小銃、そしてこの銃を合わせて3丁か。・・・連続で射撃できるのは3発。敵の数にもよるがギリギリってとこだな。まあ、何にせよ慶次のところに一丁銃があったのは助かったぜ」
「本気で俺たちを殺そうとしているなら、叔父御はおそらく9、10人の忍びを送ってくるだろうなあ。それくらいの数じゃなきゃいくら忍びといえども、そう容易くは俺たちを殺せねえことは叔父御がよく分かっているさ。だけど俺だって、こういう時の対策を考えていなかったわけじゃねえよ。俺は織田家を出奔してから、いつかこういう時もくるんじゃないかと思ってねえ。この家を借り始めたときから、忍びが進入し難いように少しずつ手を加えて置いた。難攻不落の家とまではいかねえが、ちっとばかしあちらさんも手間取ると思うよ」
 慶次は童が悪戯を企んでいるような顔でニヤリと笑い、利家に雇われている忍びの面々を思い浮かべる。
「それから、孫市。お前の腕なら心配ないと思うが、万一のために俺の脇差を渡しておくぜ。相手は忍びだ。弾込めなぞしている時間はねえと思った方がいい。敵は10人と考えると、一人で5人を相手にしなけりゃなんねえ算段になる。弾3発で3人片づけたとしても、どうしたって2発足りねえ。まあそん時は、俺が7人片づければ勘定は合うけれどな」
 そう云って慶次は、孫市の前に脇差を置く。孫市はそれを嬉しく思いながらも断った。
「それは有り難いが、俺は銃剣があるから大丈夫だ。これはお前が持っていた方がいい」
 武士が己の武器を貸すなど、よほど信頼している相手でなければ絶対にしない。孫市は、自分が慶次から武器を貸すに値する男だと思われていることが嬉しくてたまらない。
 だが、酷く照れくさくてついそんなことを云ってしまう。
「いや、遠慮せずに持っていてくれ。俺がそうしてもらいたいんだ。銃剣もいいが、そいつの方が小回りが利く。あって邪魔になりはしねえさ」
 慶次は尚もそう云って、孫市の手を掴み脇差を握らせた。
 その孫市の顔は真っ赤である。

 孫市はこの時、また自分の下腹が疼き始めているのを感じていた。
 慶次はあからさまな親愛の情を示して、さらには手を掴み脇差を握らせてきたのだ。惚れている相手にこんなことをされて、平常心を保てる男がいたらお目にかかりたいくらいだ。
 おまけに真っ暗な部屋で、橙色の灯が慶次の姿を照らしているというムード満点の状況。
 孫市の股ぐらを立ち上がらせるに、十分な条件が揃っていた。
 だがさすがの孫市も、命を狙いに忍びが来るかもしれない非常時の最中、慶次を押し倒しておっ始めるのはまずいだろうと思っていた。利家が忍びを使わす意図がはっきりするまでは、慶次と同衾するのは我慢しなければならない。
 だから、孫市はこの密室で慶次と顔を付きあわせ、打ち合わせを始めたときから、慶次に触れないよう、唇や首筋、腰など特に性的なものを感じさせるところはなるべく見ないよう、彼なりに努力をしていたのである。
(それなのにお前は、人の気も知らないで無防備に俺の手に触れてきやがって)
 そんな孫市の心を知らない慶次は、さらに孫市を煽るようなことを云う。
「それになぁ、俺の所為でこんなことに巻き込まれちまっているお前には悪いが、またお前とこうして戦えると思うと嬉くてねえ。お前に俺の背後を預けて、俺がお前の背後を引き受けて戦うっていうのが実に良い。そう思うとたまらなく気分が昂揚しちまうのさ。俺がそんな風に思える相手は滅多にいない。だからこそ、お前にこれを使ってもらいたいんだ」
 慶次の台詞は、孫市の股間を刺激した。
 一物は一気に勃ち上がり、理性は彼方へと消え去った。
(はやく慶次と一つになりたい!)
 孫市は激しい衝動に駆られ、無我夢中で慶次を押し倒した。
 突然の孫市の行動に、慶次は一体何が起こったのかすぐには理解できなかった。自分の上に覆い被さってきた孫市を見上げたまま、呆けた顔をしていた。
「お前がそんなことを云うから、俺はもう我慢できなくなっちまった。責任取ってくれよな」
 孫市はそう云うと、慶次の唇に強引に口付けた。