虎ノ尾ヲ践ム8
亥の下刻(午後11〜12時)。
利家に仕える・忍びの頭・達吉は主の命を受け、数人の部下を引き連れて慶次の宅へと向かっていた。
だが、足取りは重くそこにはどこか迷いがあった。
達吉は十六歳の時から、もう十年以上利家に仕えている。
達吉は幼児の頃、病で両親を亡くし、滝川家に仕える忍びに拾われ育てられた。恵まれた身体能力を見込まれ、この忍びのもとで術を仕込まれ、十四歳でいっぱしの忍となった。
そして十六の時、滝川一益の命で、滝川家と縁戚関係にあった前田家に仕えることとなったのである。
前田家に仕え始めた当初、達吉は四歳年下の慶次の護衛人をしていた。
しかし、護衛人とは名ばかりで、慶次にねだられるままほとんど毎日のように川遊びや木登り、戦ごっこをして遊んだ。達吉が慶次の側にいたのは、三ヶ月ほどの短い間であったが、自分を兄のように慕ってくれた慶次に対する親愛の情は、利家に仕える今でも変わっていない。
その慶次と利家が敵対し合う関係にあることは、達吉にとって酷く辛いことであった。
達吉は利家から一言、
「お前の判断にすべて任せる」
とだけ云われている。それは「隙あらば雑賀孫市を殺害せよ」ということを意味していた。
だが利家は、慶次を殺すことを望んではいない。
達吉は何度か利家の口から、
「俺には慶次を殺す意志など全くない」
という言葉を聞いている。
しかし、これ以上慶次が孫市と関わり続けるならば、信長の命によりいつか慶次を手に掛けなければならない日が来るかもしれない。それを懸念している利家は、そうなる前に孫市を消すつもりでいる。
だが、達吉にはそれが良策とは思えなかった。
(慶次郎様が雑賀孫市と懇意になさっている今、雑賀を殺すのはかえって逆効果だ。もし今雑賀を殺せば、利家様と慶次郎様が一戦を交えることになるのは火を見るより明らかではないか!)
利家と慶次が刃を交える場面を想像して、達吉はぶるっと身震いをした。
(こんなことになったのは、もとはといえばあの雑賀のせいだ。あいつが信長公に降伏するか、慶次郎様との付き合いをすっぱり止めるかしていれば、こんな状況にはなっていなかったのだ)
達吉の心に孫市への憎しみの炎が灯った。本音をいえば、孫市を殺してやりたくてたまらなかった。
(しかし、雑賀孫市を殺したら慶次郎様は絶対黙ってはいなさらない。だからといってこのまま放っておけば、慶次郎様のお命が危うくなる)
何か良策はないかものか。やはり利家様が俺に命じられたように、雑賀を殺す以外にないのだろうか・・・。
達吉は懸命に考えたが名案が浮かばない。達吉は行きづまった。
しばらく堂々巡りの思案を続けていたが、これ以上考えていても仕方がないように思えてきた。
(いざとなったら慶次郎様に、雑賀との縁を切るよう命をかけて談判してみよう)
達吉はそう決心した。そう決めたとたん、達吉の足は軽やかになった。
慶次の宅の側に辿り着いた達吉は、部下に、
「ここで待機していろ」
と告げ、単独で慶次の宅へ進入することにした。
この時達吉は、利家の命令を一時保留にして、慶次に談判することに決めていた。そのため慶次の警戒心を必要以上に煽りたくはなかった。
達吉は、慶次が孫市との縁を切ってくれることが、一番の円満な解決方法だと思っている。慶次が孫市との縁を切りさえすれば、達吉は今度こそ機会を窺い孫市の命を奪うつもりであった。慶次への談判は、そのための布石である。何としても成功させなければならないと思った。
だが固い決意を持って慶次の宅へ向かった達吉は、思いもよらぬものに進入を阻まれた。
突如達吉の目の前に、巨大な馬が立ちはだかり、達吉の心底を探るかのようにじっと達吉の目を見つめた。
その巨馬からは激しい殺気がみなぎっており、達吉は恐怖で一瞬凍りついた。
(この馬が噂に聞く、慶次郎様の愛馬、松風か)
慶次の愛馬は人間の言葉を解ことができる賢い馬で、時に命を張って慶次を守ろうとするほど慶次に心酔しているらしいと、達吉は何度か耳にしていた。
慶次と松風が戦場を走る姿を遠くから目にしたことはあるが、こんな間近で松風を見るのは初めてであった。月の光の中に浮かびあがる松風の威風堂々とした姿に、心を奪われた。
達吉は、こんな時だというのに惚れ惚れと松風に見入っていた。
「お前も慶次郎様をお守りしようとしているのだろう?ではお前と俺は仲間だ。俺は慶次郎様のお命を奪いに来たのではない。慶次郎様のお命をお救いするために来たのだ」
松風は主人を守るために、自ら綱を切って厩から脱走して来たのだろう。
綱の先が食いちぎられてボロボロになっていた。それを見た達吉は、松風の主を思う姿に心を打たれ、まるで人間に話しかけるかのような口調で、松風に語りかけた。
しばらく達吉の真意を見極めるかのように、じっと達吉の目を睨んでいた松風であったが、やがて達吉から目を逸らした。そしてまるで達吉に「了解した」とでも云うかのように、前足でドンと地面を踏み鳴らし、来た道を悠々と去っていった。
達吉は慌てて松風を追う。
松風の後を追い、やがて慶次の宅に着いた達吉は、今度は慶次によって手を加えられた家に進入を阻まれた。
どこかに入り込む隙は無いものだろうか?
達吉はそう思いながら、家の周りを丹念に探索した。その達吉の姿を、松風がじっと見つめている。
なぜか達吉には、松風が笑っているように見えた。
「お前、俺を馬鹿にして笑っているな?」
達吉がそう云うと、松風はそっぽを向いた。どうやら達吉に進入する方法を教えるつもりはないようだ。
「まあ、いいさ。俺は、一人で探すよ」
懸命に探索した末に、わずかな隙間を見つけた達吉は、音を立てないよう防御していた板枠を外し、するりと身体を滑り込ませ天井裏に忍び込んだ。
達吉が天井裏を這い、人の気配がする方へ行くと、部屋の灯りが天井板の隙間から漏れ、微かに天井裏を照らしているところを発見した。
(あそこだな)
達吉はそう呟き、気配を消しながら徐々に近づく。
慶次に自分の気配を感じ取られたら、その瞬間、ズバッと天井板ごと槍で身体を刺されかねない。
慶次郎様に殺されるのはかまわないが、その前に何としても慶次郎様に談判しなければ、と思った達吉は気配を悟られぬよう慎重に進んだ。
だが、もう少しでそこに辿り着くというところまで来たとき、達吉はうめき声のようなすすり泣きのような妙な声を聞いた。その声が何であるか、達吉はすぐにピンと来た。
(まさか、慶次郎様は女を連れ込んでいるのか? ではここに雑賀が来ている、という情報は間違いだったのだろうか?)
達吉はそう思いながら、天井板をわずかにずらし、そっと部屋をのぞき込んだ。
「────ッ!!」
だが次の瞬間、目に飛び込んできた光景に、達吉は驚愕のあまり腰を抜かしそうになった。
のぞき込んだ部屋では、慶次と孫市の痴態が繰り広げられていた。
仰向けに横たわった慶次の上に孫市が乗り掛かり、慶次の片脚を肩に抱え上げ、腰を緩やかに動かしている。
孫市が腰を動かす度に、慶次は恍惚とした表情で甘い声を漏らしていた。孫市が慶次の脚を高く持ち上げると、孫市の性器が慶次の中に挿入されているところが丸見えになり、その結合部から溢れた精液が流れ出しているところまで見えた。
達吉はその二人の姿を、しばらくの間食い入るように見つめた。
二人の姿はそれほどまでに凄艶だったのである。
しかし我に返った達吉は、次第に悲しくなってきた。
(慶次郎様は、雑賀相手に色呆けなされたか。優秀な忍びがどんなに気配を消して忍んで行っても、慶次郎様には絶対にばれてしまう、と仲間達から噂に聞いていたのに。・・・それによりによって、雑賀と同衾するような仲になってしまうとは)
これでは雑賀と縁を切るよう慶次に談判しても無駄かも知れない、と達吉は思った。
慶次はこうと決めたら、梃子でも動かない男だ。
孫市と同衾する仲になっているということは、慶次は孫市と縁を切るつもりなどさらさら無いのだろう。
(これはもう、利家様のご命令通り、雑賀を殺す意外に信長公の刃から慶次郎様のお命を守る方法はない!!)
雑賀を殺したら、慶次郎様はおそらく織田軍に戦いを挑んで来るであろうが、そうなる前に利家様に、慶次郎様を生け捕りにして山寺かどこかへ幽閉なさるよう進言しよう。
そう決意した達吉は、腰に差していた二本の短剣を抜いた。
慶次は突如、天井の向こうから殺気を感じ、身体をビクッとさせた。
(忍びがいる!)
しかし、そう気づいた時にはもう何もかもが遅すぎた。
両手に両刃剣を握った忍びが、天井板をずらしたところからこちらを見下ろし鋭い目で睨んでいた。
忍びがいる位置はちょうど孫市の真上。
このまま忍びが飛びかかれば、間違いなく2、3秒後には孫市の首と胴は真っ二つに切り離されているだろう。
慶次は、自分の脇にある槍に手を伸ばし柄を握った。
もし今自分の上に孫市がいなければ、この横たわった体勢でも忍びを殺せる自信が慶次にはあった。
だが孫市が上にいる今は無理だ。もし忍びを殺せたとしても、その前に孫市の命は忍びによって奪われてしまうだろう。
(俺としたことが、完全に不覚を取ってしまった。全く情けねえ!)
慶次は自分のあまりの不甲斐なさを悔やんだが、今はそれを悔やんでいる場合ではない。
慶次は懸命に打開策を考えた。考えながらも、ずっと忍びの目を睨み続けた。目で相手を牽制し続けることが、今の慶次に出来る唯一のことであった。
忍びをずっと睨み続けていた慶次は、不意にそれがどこか見覚えのある顔だと気づきハッと目を見開いた。
(あれは、もしや達吉兄か!)
小さな頃一緒に遊んでくれた達吉の面影と、目の前にいる忍びの顔が慶次の中で重なった。
達吉が利家に仕えてから、慶次は達吉と一度も会ったことがなかった。
利家の命で、要人を暗殺する極秘の刺客を担っていた達吉は、利家と忍び仲間以外の者には姿を見せないことで有名であった。
十数年ぶりに、懐かしい達吉の顔を見た慶次の緊張の糸が一瞬緩んだ。
達吉も慶次が気づいたことを察知したのだろう。慶次を見る達吉の視線が柔らかいものになった。
その達吉の目を見た慶次は、一瞬で利家の意図を理解した。利家は今のところ、自分を殺すつもりはないのだ。
それに気づいた慶次は、一か八かの賭けに出ることにした。自分が孫市に覆い被さり、身を持って孫市の殺害を呈するのだ。今のままではどうしたって孫市を救い出す手だてが見つからない。
だが自分が身を呈することで、もしかしたら達吉は、孫市の殺害を諦めてくれるかもしれない、と慶次は思った。
(だが、それでも達吉が殺害する意志を変えてくれねえときは、孫市、お前にはすまないが、俺と一緒にお前も殺されちまうかもしれねえな。そうしたら、俺はあの世でお前に何百万回も謝るから、許してくれよな)
そう心の中でで呟きながら、慶次は持っていた槍を脇に放り、孫市の身体を抱きしめると、ぐるりと横に身体を回転させ、そのまま孫市に覆い被さった。
「おい、慶次!そんな馬鹿なことはするな!!お願いだ!」
孫市は慶次の下から逃れようと身体をよじりながら、必死に叫んだ。
慶次とほぼ同時に、忍びの気配に気づいた孫市は、もうすでに自分の死を覚悟していた。どうしたら慶次を助けられるか、そのことしか孫市の頭にはなかった。
いざとなったら、孫市もまた自分の身を呈して慶次を助けるつもりでいた。だから慶次が自分の上に覆い被さって来たとき、慶次もまた身体を張って自分を助けようとしていることが、孫市にはすぐに分かった。
「孫市、そんなに暴れるな、な? そんなに暴れたらお前の身体が、俺の身体からはみ出しちまうじゃねえか。それじゃあこうしている意味がねえんだ。お願いだ、じっとしていてくれ。・・・それにお前、俺と重なって死ぬのも悪くねえって云っていたじゃねえか」
そう云って慶次がニコッと笑うものだから、孫市は不覚にも泣きそうになった。
「ああ、俺は確かにそう云った。だけど出来れば、俺がお前の上がいいな。俺の計画では俺の背中から槍が入り、俺の心の臓とお前の心の臓を貫いて、お前の背中を突きぬけるはずだったんだ。・・・なあ、今からでもお前と俺の位置を変える気はないか?」
孫市は泣きそうになる自分を抑えるために、わざと冗談めかして云う。
「いや、俺は絶対この位置を譲る気はないぜ。計画は大抵予定通りに行かないものさ。そう思って諦めろ」
慶次はそう云って孫市にぴったりと密着し、完全に覆い被さった。
上からその光景を見ていた達吉は、慶次の行動に激しく狼狽した。まさか慶次がそう出るとは思いもしなかったのだ。
槍も持たずに全裸で自分に背中を向ける慶次。
(孫市を殺すなら、俺を先に殺せ)
口で云ってはいないが、慶次がそう考えていることは明白であった。いくら孫市を殺害するためとはいえ、達吉には慶次を殺せる自信がなかった。
慶次の命を賭けた行為に、達吉は完全に降伏した。
(俺には慶次郎様を殺すことなどできない)
そう思った達吉は、その場から風のように姿を消した。
突如、部屋から殺気が消え去り、一気に二人の緊張の糸が切れた。同時に身体の力を抜き、安堵のため息をつく。
慶次は孫市の身体からおりて、孫市の隣に仰向けになって寝転がった。
二人はしばらくの間、無言で天井を眺めていたが、今度は沸々と笑いが込みあげてきて、顔を見合わせてブッと吹き出した。
「もう俺は駄目かと思った。今こうして生きているのが嘘みたいだ。・・・お前も俺も生きているんだな」
孫市は慶次がそこにいることを確かめるかのように、何度も慶次の頬や髪を撫でながら云った。
「俺もなあ、十中八九駄目かもしれねえ、と覚悟していた。思いもかけぬ命拾いをしたもんだ」
慶次は声をあげて笑った。
「それにしても、もう二度とあんな真似はしないでくれよ!俺が生きるためにお前の命を犠牲にするくらいなら、俺は死んだ方がましなんだ!」
孫市は慶次に取りすがり、泣きそうな顔をした。
「孫市は、案外涙もろいんだねえ」
慶次がからかうように云うと、
「俺はまだ泣いてない!」
と孫市は吠えた。
そして何を思ったのか孫市はいきなり立ち上がり、着物を羽織ると、壁に立てかけてあった銃を担いだ。そのまま部屋から出て行こうとする。
「おい、孫市!一体どうした?!」
何を始める気か、と心配になった慶次は叫んだ。
「俺は一晩中外を見張る。まだ敵さんがその辺にいるかもしれねえからな」
孫市は慶次の方を振り返らない。だが慶次には、孫市が泣いていることが分かった。湿ったような声をしていたからだ。
「・・・その必要はねえと思うよ。しばらくは叔父御も、俺たちに忍びを差し向けることはしないはずさ」
慶次の言葉に、孫市は驚いて振り返った。
その頬は涙で濡れていた。
「俺たちは、叔父御との賭けに勝ったのさ」
慶次はニタリと笑った。
だが、孫市は意味が分からないといった顔を慶次に向ける。
慶次は続きを話し始めた。
「ここに忍んできたあの男、達吉と云ってなぁ、俺が幼い頃、遊んでもらった男だ。叔父御に仕えている忍びの中でも、ピカ一の腕を持った忍びでな。あの男が本気を出したら、今日の俺たちのあの状況では、間違いなく殺されていたはずだ。
だが、あの男は結局俺たちを殺さなかった。なぜだと思う?達吉は俺たちを殺さなかったのではなく、殺せなかったからさ。それを最初から承知で、叔父御は達吉を俺たちのもとへ送った。叔父御の真の目的は、俺たちの絆を断ち切ることにある。だから叔父御は他の忍びでなく、わざわざ達吉を俺のもとに送った。まあ、その叔父御の真意をあの達吉も分かっていなかったと思うがね。おそらく達吉は、叔父御からお前を殺すようにと命を受けていたはずだ。そうじゃなきゃ、あの殺気は出せない。あれは本気で殺すつもりじゃなけりゃ出せない殺気だったぜ」
「・・・悪い。話がいまいち見えないんだが」
孫市は云って不思議そうな顔をする。
「つまり叔父御は、達吉と俺の感情を利用しようとしたのさ」
慶次は言葉を続けた。
「さっきも云ったように、俺はあの達吉によく遊んでもらってな、兄のように慕っていた。そして達吉も俺を弟のように可愛がってくれた。その男が本気でお前を殺そうとする場面を俺が見たら、俺がお前との縁を切る気になるんじゃねえか、と叔父御は考えたのだと思う。それとこれは俺の想像にすぎないが、おそらく達吉は叔父御の命を破って、俺にお前と縁を切るように談判でもする気だったんじゃねえかと思う。達吉がそういう行動を起こすことは叔父御も最初から予想済みだったはずだ。むしろ達吉がそういう行動に出ることは、叔父御にとって都合がいい。・・・だが、達吉は俺たちが同衾している姿を見て、もう自分が談判したとしても、俺の心を変えることはできねえことを察したんだと思うぜ」
「だから突如、降って湧いたように殺気を感じたんだな。最初から、その達吉っていう男が俺を殺そうと家に侵入してきたとしたら、いくら何でももっと早く殺気に気づいたはずだからなぁ」
「ああ。だけど結局達吉は、お前を殺そうという行動に踏み切る前に戦意をなくしてしまったし、俺の心を変えることもできなかった。叔父御は賭けに負けたのさ。これでしばらくは、叔父御も忍びを差し向けるようなことはしないだろうよ。次に忍びを使うときは、叔父御が俺を本気で殺す気になった時さ」
慶次はそう云って豪快に笑ったが、孫市はとても笑える気分ではなかった。
「・・・お前、俺との付き合いを止めた方がいいんじゃないか?」
孫市は身体を震わせ、真っ青な顔をして云った。
慶次と別れるなんて考えるだけでも寒気がする。その悲しみに耐えられる自信がない。だが、それが慶次の命を救う道であるなら、孫市は身を引く覚悟があった。
「いや、俺はお前との付き合いを止める気などさらさらねえよ。それも誰かに指図されて、付き合いを止めるなどまっぴらごめんだねえ。お前と俺が付き合いを止めるときは、お前が俺に愛想をつかすか、俺がお前に愛想をつかすか、どちらかが死んだときだけだ。だから、そんな馬鹿なこと云ってねえで、こっちへ来い」
慶次は、相変わらず部屋の出入り口に突っ立っている孫市を手招きする。
「本当にいいのか?」
慶次が云った言葉に、感極まってまた涙ぐみだした孫市の声は震えていた。
「そういうお前こそ、俺とつき合っていたら危ない目に遭うぜ。それはお互い様じゃねえか。そんなことより、もうそろそろ布団を敷いて寝ようぜ。さすがに寒くなって来たからなあ」
慶次はぶるっと身震いをして、立ちあがった。孫市はその慶次のもとに慌ててすっ飛んで行く。
「なあ、慶次。布団を敷くのは大賛成だが、その後寝るってのは賛同できないぜ」
「まさか、お前、まだやるつもりなのかい?!」
慶次はギョッと目をむいた。
「そうさ、そのまさかさ。同衾っていうほどだからな。やっぱり最後は布団の中で締めくくらないとな」
さっきまで泣いていた孫市はどこへいったやら。
孫市の顔はもうすでに、鼻の下を伸ばしたすけべ顔に変貌していた。
「別にわざわざ締めくくる必要はねえと思うんだがなあ」
慶次は頭をかきながら云う。
「いーや、普通締めくくるもんだぜ!」
「そんな話、俺は聞いたことねえけどなあ」
そう云って納得できないといった顔をしている慶次を尻目に、孫市は勝手に押入から布団を出して敷き始め、一人でむふふと笑っていた。
※ ここに出てくる忍びの達吉は架空の人物です