夕昏の客2

「その、あんたの狼に会ってみたいねえ」
「会わせてやれぬこともないが、雌狼と子をなしてかかりきりになっていてな。あれは今、人間どもが住まうところには降りてこぬ・・・・」
 小太郎はそう言ったが、付いてくるな、と小太郎が命じたのだ。ことさらに小太郎が可愛がっているその狼は、狼たちの群れに君臨する王であり、並はずれた体格をしていた。立ち上がると、小太郎と同じくらいある。普段でもあっというまに数人の人間を弑することができるほど強く、凶暴であったが、とくに子を育てている今は、たとえ慶次と言えども会わせるのが危険なほど気が立っていた。
「そうか。そいつは残念だな。きっと友になれると思ったんだがねえ・・・」
「友・・・」
 呟いた小太郎に、慶次が頷いた。
「ああ、友さ。その狼はあんたの友だろう? あんたと心を通わせられる狼なら、俺とも気が合うかも知れねえと思ったのさ」
 小太郎は思わず笑ってしまった。狼と友になれるなどと、普通の人間は考えない。相手は猛獣ではなく、人間として考えているかのように話す慶次・・・。やっぱり面白い奴だ、と思った。
「・・・ところで、さっきから気になっていたことがあるんだが」
 慶次が、小太郎の盃に酒を注ぎながら言った。
「なんだ?」
「あんた、四月前に相模に来たって言ったよな」
 小太郎は頷いた。
「もしかして、俺たちが北条と戦をしているところを見ていたのかい?」
「我はずっと見ていた」
 慶次はやっぱりそうか、と思いながらも驚いた。小太郎が相模にいたのなら、当然、北条のことが気にならないはずはない。それもあの戦は、北条が今後、存続出来るか否かを決める重要な戦であった。小太郎が戦に加わらず、北条が敗北する様をただ傍観していただけ、というのが意外であったのだ。
「この相模の地を治めるのは、北条でなくともよい」
 慶次の心を察して、小太郎はぽつりと言った。
「我ら、風魔一党は北条から扶持を得ていたが、北条に隷属していたわけではない。扶持を得ていたのも、もう過去のこと。北条に味方する義理はない」
「・・・そうか」
 慶次は自分の杯に手酌して、酒を呷った。
「じつは北条との戦のとき、あんたが現れるんじゃねえかと、俺はちょっと期待していたんだぜ。でも、今思うと、小太郎が北条に付いていたら、相当苦戦に立たされていただろうな。あんたがいない北条であっても、津久井城での戦のときは、さすがの俺も死を覚悟したほどだったからねえ」
「我も、あの戦はよく覚えている」
 小太郎は、ちらりと慶次を見た。
「あの雑賀の頭領が駆けつけるまで、うぬは孤軍奮闘していたな・・・」
「えっ・・・」
 慶次はハッとなって、小太郎を見た。
 そこまで戦の状況を詳細に知っているということは、あのとき小太郎は戦場のすぐ近くまで来ていた、もしくは戦場にいたとしか考えられなかったからだ。
「なんで小太郎は、それを知って・・・・」
 言いかけたところで慶次は、
(あのときこの男が、影で俺を援護してくれていたのだ)
 と、すぐさま気づいた。
 戦の最中にも、不思議に思っていたのだが、城の側で戦っているわりに不自然なほど北条方の兵站が機能していなかったのだ。あのとき、優勢にあった北条は、新たな兵をもっと送りこめば慶次たちに易々と勝てるはずであった。にもかかわらず、北条は兵をあまり補給してこなかった。そのおかげで、孫市が援護に来るまでの間、慶次はなんとかもちこたえることができたのだが――。
「そうか、だから兵站部が機能していなかったのか! 小太郎、あんたが後方で、兵站部隊を押さえ込んでいてくれたんだな!そうだろ?」
「クク・・・・あの戦、我も久々に愉しめた」
 小太郎ははっきり肯定しなかったが、その答えで小太郎が援護してくれていたのだ、ということが分かった。
「あんたは、俺の命の恩人だな。あんたが援護してくれていなかったら、もしかして俺は、今頃こうして生きていなかったかも知れないねえ」
 慶次は感謝のまなざしを小太郎に向けた。
「だけど、なんで助けてくれたんだ? あんたには伊達の味方をする義理などないだろう?」
「・・・・我は、伊達の味方をしたわけではない」
 小太郎は慶次をまっすぐに見つめた。
「うぬに死んで欲しくなかった。それだけだ」
 思いもかけぬことを言われて、慶次は驚き、目の前の小太郎をまじまじと見た。
(俺は小太郎に嫌われてはいない。たぶん、好かれているほうだろう)
 そういう自覚はあったが、劣勢の戦の中、身の危険を冒してまで助けてもらえるほど小太郎に好かれているわけではない。そう思っていた。そもそも小太郎は風のような男。風が一所に縛られたり、誰かに強く心を傾けたりするだろうか。慶次にとって小太郎は、そういう認識を持っていた相手だった。

 そして小太郎もまた、このとき、自分がいった言葉に驚いていた。
 小太郎は深く考えた末に、慶次の援護をしたわけではなかった。何千という北条勢に囲まれていた慶次を見たとき、まるで何かに激しく追い立てられているように心が急き、焦り、考えるまもなく身体が動いていた。そして気づいたときには北条との戦に加わり、かつては味方であった北条の兵を倒していた。
 自分の利益、風魔一党の利益を考えれば、北条の味方をしたほうが良いに決まっていた。
 だがあのときは、そんなことを考えもしなかった。
 小太郎は自分でも、己の行為が不可解でならなかったのだが、今の自分の言明でその理由にやっと気づくことができた。
(・・・そうか、つまり、我はこの男に惹かれているのだ)
 ――なぜ無性にこの男に会いたくなることがあるのか、なぜこの男が気になって仕方がないのか、なぜこの男が好いている相手に変化し現れたのか・・・・すべて説明がつく。
 小太郎は、フッと自嘲の笑みを浮かべた。
 慶次が好きだという、そんな単純な感情に今まで気づくことができずにいた自分が愚かしく、滑稽に思えた。そして同時に、人間に甘い感情を持つなど全く自分らしくないとも思い、可笑しさが込みあげた。
(我が人間に恋するなど、本当に、全く、どうかしている・・・)
 小太郎は自嘲の笑みを浮かべたまま、頭を振った。正直、戸惑ってもいる。だが、初めて自分の心に浮かんだ、春の陽ざしのように温かな恋情を心地よく感じていた。
「・・・恋情とは、このように優しく温かいものなのだな。我は初めて知った」
「えっ?!」
 慶次はまたもや予期せぬことを言われ、驚かされた。
 さきほどから、小太郎の言葉に瞠目するばかりで、ついていけていない。
 この短い時間の間に、小太郎が何を思い、何に気づいたのかということなど分かるはずもない慶次には、小太郎の言動が不可解でならなかった。
「小太郎。もしかして、あんた・・・酔っているのかい?」
 『恋情』などと、小太郎の口から聞くはずもないと思っていた言葉が飛び出し、慶次は困惑した。
(慣れない酒を呑んだせいで、小太郎は酔ってしまったんだろう)
 そうとしか思えなかった。
「クク・・・確かに、うぬが申す通り、我は少し酔っているのかもしれぬ」
 心を覆っていた殻を破り、己の奥深くにあった感情に気づくことができたのは、酒の力によって心が解放されたことによるものかもしれない、と小太郎は思った。
「とはいえ、酔って妄言を言っているわけではない。我のうぬへの想いは真実、偽りのないもの」
「おい、ちょっと・・・小太郎。あんた、やっぱり、相当酔っているな」
 小太郎の告白を、酔いにまかせた戯れ言と誤解した慶次は、心配になって小太郎の顔をのぞき込んだ。火鉢の熱と酒によって温まった小太郎の顔は、青い肌の上から分かるほど紅潮していた。
「あんたがこんなに酒に弱いとは、知らなかったぜ・・・」
 小太郎の手から杯を取り上げ、困ったように慶次が言った。
「夕餉にほとんど手を付けていねえし・・・こりゃあ、余計に酒が効いちまうな。小太郎、もし食えるようなら、腹にもっと食い物を入れたほうがいい」
「心配するな。うぬが思うほど、我は酔ってはおらぬ。・・・と申しても、うぬは信じられるようだが」
 話せば話すほど誤解を深め、本気にしようとしない慶次を見て、小太郎は小さく笑った。
「・・・信じられねば、信じずともよい」
 小太郎は言って、自分の顔をのぞき込んでいた慶次の腕を掴み、引き寄せた。
「うわっ!」
 ふいに強い力で引っ張られた慶次は、小太郎の身体の上に覆い被さるように倒れた。小太郎はその身体をやや手荒くかき抱いて、首筋に顔を埋めた。
「うぬの身体は、日に干された草のような芳しい匂いがする・・・」
 呟くように言って、慶次の身体から仄かにするその体臭を深く吸った。
 心に染み通るような、良い香りだった。
「小太郎!ふさけてねえで、放してくれよっ」
 慶次は本当に、小太郎が酔って絡んで来たのだと思っていたから、文句を言いながらも大して抵抗しなかった。手で軽く小太郎の身体を押し、立ち上がろうとしただけだ。
 小太郎は慶次の身体を放さなかった。
 自分の言葉を信じようとしない慶次を、少し脅かすつもりで抱き寄せたのだが、慶次の匂いを嗅いだときから、この芳しい肉体が欲しくてたまらなくなった。徐々に、興奮し始めている。
 慶次が本気で抵抗しないなら、身体を繋げるつもりだった。
「クク・・・嫌なら、本気で抗うがいい・・・」 
 小太郎は慶次の耳元でささやき、首筋を舌で舐め上げた。ぴんと張りつめたような肌の感触が、なんとも素晴らしかった。これほど弾力がある滑らかな肌を持った者はめったにいないだろう。小太郎は今まで、誰とも肌を重ねたことはなかったが、慶次が極上の肌身をしていることはすぐに分かった。
 小太郎はその肌の感触を味わうように、もう一度舐め上げた。
「はあ・・・・」
 その刺激で、ぶるりと身体を震わせた慶次から、無意識の声が洩れた。
「ちょっと、おい、小太郎!待ってくれよっ!」
 ぎょっとした慶次は、さきほどより強く小太郎の身体を押し、そこから逃れようとした。が、その強靱な腕は、びくりともしない。ますます強く、慶次の腰を抱え込んだ。
「あんた・・・何をするつもりだい?」
 小太郎はふざけているわけではないのかも知れない、と思い始めた慶次は、やや焦りを見せた。
「・・・世の者は、欲した者と身体を繋げる。そうではないのか?」
 恥ずかしげもなく、小太郎は平然と言った。もとより彼には、こういったことへの羞恥心がまるでなかった。色事に関する話や行為は、ある程度の恥じらいを持ってするものだ、という普通の感覚が見事に抜け落ちている。
「か、身体を繋げるって・・・・」
 真顔のまま恥ずかしげもなく言われ、慶次は言葉につまった。
「・・・・あんた、ちゃんと自分が言っていることの意味が分かって言っているのかい?」
「意味?」
 小太郎は首を傾げた。
「あんたがあまりにもさらりと言うから・・・もしかして、あんたが言う身体を繋げるっていうのが、俺が思っているのと違うのかと思ったんだが・・・」
「うぬが思う・・・身体を繋げるというのは、なんだ?」
「いや、だからその・・・寝ることかなぁと・・・・・」
「寝る?」
 小太郎は不思議そうな顔をした。
「我が言っているのは、そういうことではない」
「そうかい・・・。なら、いいんだが」
 慶次は、ホッと息を吐いた。・・・が、安堵するもつかの間、小太郎に尻を鷲掴みにされて、ぎょっとした。
「あんた、さっき、寝るわけではない、と言ったじゃねえか。何してるんだい?!」
「うぬとは寝ぬ。我がしたいのは、うぬとの交媾」
「えっ!」
 驚愕の声を上げた慶次は、ここで小太郎が『寝る』の意味を間違えて理解していたことに気づいた。
 急いで小太郎から離れようとしたが、抗うまもなく、身につけていた野袴を乱暴に破られた。小太郎の強靱な力の前では、厚い布もまるで紙のように頼りないものだった。
 それから数秒もしないうちに、褌まで取り去られ、下肢、臀部、股間・・・下半身のすべてを露わにされた慶次は、軽々と身体を抱え上げられ、気づくと仰向けの体勢で押し倒されていた。
 あっという間のできごとだった。
 唖然とする慶次の上に、小太郎が身体を乗り上げている。
 小太郎は抗うことが困難なほど強く慶次を床に押し止めながら、燃え盛るような眼で慶次を見下ろして来た。それはまさに、獲物を前にした猛獣を思わせるような、危険で鋭い視線だった。
(小太郎は、本気だ)
 思わず慶次は、身を竦ませた。
 それまで、酔ったせいで思ってもいないことを言い、戯れに絡んでいるだけだろうと思っていたが、やっと小太郎が本気であることに気づいた。
「クク・・・・慶次、うぬは我が恐いのか?」
 言われて慶次は、自分の身体が微かに震えていることに気づいた。
 面白そうに慶次を見下ろしていた小太郎は、慶次の腰に跨るようにして乗り上げ、いっそう強く押さえ込んだ。腕で小太郎の身体をはねのけようとするも、肝心の腕が小太郎の膝で床に押さえつけられてしまっている。身体全体を使って小太郎の身体の下から這い出ようとしたが、まるで全身筋肉の塊といった巨体から、そんなことで逃れられるはずもなかった。
 慶次の顔に視線を注ぎながら、小太郎は身につけていた衣装の腰紐を手早く解いた。まもなく、下腹部を露わにさせた小太郎は、すでに興奮で勃ちあがり始めていた一物を手で褌の下から引きずり出し、慶次の前に晒した。
 それを見た慶次は、恐怖で身震いした。
(こんなの入れられたら、壊れちまう)
 それが、小太郎のものを見たときの正直な感想だった。
 慶次は、己の陰茎も相当大きな部類に入ると思っていたが、小太郎のものはさらに長いばかりでなく、太さも尋常ではなかった。孫市の前腕と同じ程度の太さがあるのではないかと思った。根本のほうは身体と同じような青い色をしていたが、亀頭は血管がうっすら透けて見え、赤紫色に照り光っていた。その凶器のような陰茎が、目の前で隆々と起立しているのだ。
 怖がるな、というほうが無理だった。